最大野党「国民の力」は、6・3地方選挙で全羅(チョンラ)地域の基礎・広域自治体首長を一人も誕生させることができなかった。光州(クァンジュ)、全羅南道(チョンラナムド)、全羅北道(チョンラプクト)の基礎自治体41選挙区のうち、候補を擁立したのは全羅南道木浦(モクポ)市長と全羅北道扶安(プアン)郡守の2カ所だけで、全州(チョンジュ)市長候補は立候補規定違反で登録が取り消された。残る38カ所では公認候補すら擁立しなかった。政権発足直後の地方選挙は与党に有利とはいえ、野党第1党として当選者を出す力量はおろか、その意思があったのかさえ考えさせられる。
与党「共に民主党」にとって大邱・慶尚北道(テグ・キョンサンプクト、TK)は、「国民の力」にとっての全羅道に劣らぬ厳しい地域だ。それでも「共に民主党」は当選の見込みがない地域にも候補を立てた。TKの基礎自治体31選挙区のうち、義城(ウィソン)、清道(チョンド)、星州(ソンジュ)、蔚珍(ウルチン)郡を除く27カ所で挑戦した。釜山・蔚山・慶尚南道(プサン・ウルサン・キョンサンナムド、PK)でも、基礎自治体39選挙区のうち、進歩党と候補を一本化した蔚山市東区長、釜山市蓮堤(ヨンジェ)区長、慶尚南道陜川(ハプチョン)郡守を除く36カ所で公認候補を擁立した。今回の選挙でも「共に民主党」はTKでは全敗したが、PKでは基礎自治体首長12人と広域自治体首長1人(田載秀・釜山市長当選者)を誕生させた。2022年地方選でTKとPKの広域・基礎自治体首長を合わせても慶尚南道南海(ナムヘ)郡守1人しか当選できなかったことを考えれば、目覚ましい成果だ。
「国民の力」が全羅道で敗北だけを重ねてきたわけではない。李貞鉉(イ・ジョンヒョン)元公認管理委員長は、14年に全羅南道順天(スンチョン)・谷城(コクソン)、16年には順天で国会議員に当選し、全羅道にも保守の旗を立てられることを証明した。22年の大統領選では、尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領が全羅道で12.75%を得票し、保守政党候補としては過去最高の得票率を記録した。当時落選した李在明(イ・ジェミョン)大統領との全国得票率の差は0.73ポイントという大接戦だったことを考えれば、全羅道での支持が当選の原動力になった。
しかし、「国民の力」が全羅道で示した成果と努力はこれがすべてだった。尹氏の非常戒厳宣布と弾劾に続く張東赫(チャン・ドンヒョク)指導部の保守結集路線は、全羅道にかろうじて残っていた支持層まで離反させた。与党として大敗した24年総選挙では、保守陣営に蔓延する「全羅道軽視」の風潮が端的に表れた出来事もあった。比例代表の当選圏に配置された全羅道出身者が姜善栄(カン・ソンヨン)、印曜翰(イン・ヨハン)議員の2人しかいないとの批判が広がると、慌てて順位を調整し、趙培淑(チョ・ベスク)議員を当選圏に配置したのだ。「全羅道はどれだけ努力しても決して票をくれない」という認識も党内には依然として残っている。
大邱市長選で45.05%を得ながら落選した金富謙(キム・ブギョム)元首相は、かつてなく当選の可能性が高かったので、大邱市民を恨みたくなっても不思議ではなかった。しかし金氏は「農夫は自分が耕す畑のせいにはしない」と述べ、敗北を受け入れた。地域主義の打破を掲げ、00年の総選挙で釜山に挑戦して敗れた盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領も、「農夫は畑を恨んではならない」と述べ、市民の選択を尊重し、その2年後に大統領選で勝利した。「共に民主党」が慶尚道(キョンサンド)に粘り強く候補を擁立し、保守の鉄壁を少しずつ崩してきた背景には、このように畑を責めるのではなく、地道に耕し続ける姿勢と努力があった。そして慶尚道の有権者は、その姿勢に少しずつ心を開いている。一方、「国民の力」は今回の選挙で全羅道を最初から諦め、攻略する意思すら示さなかった。もし畑のせいにしているのだとすれば、その考え方から改めるべきではないかと、全羅道の有権者は問いかけている。
アクセスランキング