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[オピニオン]三星と「車輪のついた製品」

[オピニオン]三星と「車輪のついた製品」

Posted December. 11, 2015 07:30,   

三星(サムスン)の李秉迵(イ・ビョンチョル)創業者は傑出した経営者だったが、「調味料戦争」では、惨憺たる敗北を喫した。三星は1970年代、調味料市場を先取りしていたミウォン(現在は大象)に立ち向かって、ミプンやアイミなどの製品で挑戦したが、ミウォンの牙城を崩すことはできなかった。李秉迵が、「世の中には自分の意思通りにならないことがあるが、それは子供やゴルフ、そしてミウォンだ」と打ち明けたというエピソードも伝わっている。

◆三星を名実共のグローバル企業に育成した李健熙(イ・ゴンヒ)会長の最大の失敗は自動車事業だった。自動車マニアだった李会長は1995年3月、三星自動車を設立して、その翌年の1月、釜山(ブサン)にシンホ工場を完成したが、悪材料が加わった。地盤の弱い釜山工場に巨額の投資費をつぎ込んだ上、工場完成からわずか1年後に見舞われた通貨危機で、経営難が深刻化した。結局、三星は2000年、フランス・ルノーに三星自を明け渡して手を引いた。「トップの関心事業」だった自動車事業の失敗は、三星と李会長に大きな傷跡を残した。三星内部では、「車輪のついたものは作らない」という不文律までできた。

◆三星電子が9日の組織再編で、自動車・電子装備(電装)事業を総括する「電装事業チーム」を新設した。三星自から撤退後15年ぶりのことだ。自動車電装とは、車の中に入るすべての電気・電子・情報技術(IT)装置を指す。スマートカーにおいて、車体だけを外して、全てのものを作りたいという意味として受け止められている。頭打ちの状態となっている電子事業の新たな突破口が電装でもある。半導体などの部品事業を取り仕切る三星電子の権五鉉(クォン・オヒョン)副会長直属に、電装事業チームを配置したのは、今回の決定の重さを物語っている。

◆李在鎔(イ・ジェヨン)副会長が主導した三星の自動車電装事業への進出は、独自的な「自律走行自動車」を作るという米アップルやグーグルの戦略とは差がある。三星も自動車市場に再び参入する考えはないと強調している。しかし、自動車と電子との産業別境界が早いテンポで崩れつつある現実の中、今後どうなるか予断は難しい。「李在鎔の三星」体制の発足後、一部から「縮小経営」を巡る懸念が持ち上がっていた時に出てきた今回の決定が、韓国経済の新しい成長エンジンになるのに貢献することを願う。

権純活(クォン・スンファル)論説委員 shkwon@donga.com