今から60年前の1953年3月30日、ほぼ同じ時刻に東京道墨田区にある賛育会病院で2人の男の子が生まれた。先に生まれたAは病院の不注意で13分後に生まれた新生児Bと取り違えられ、別の夫婦の実子として育てられた。そのため人生が180度変わった。
A氏が2才の時、父親が死去した。母親とA氏を入れた4人家族は、10平方メートルの大きさのアパートで苦しい生活を送った。寝る場所も不十分で、家電製品は一つもなかった。A氏は中学校を卒業すると、働かなければならなかった。最近までトラック運転手をし、結婚もできなかった。
人生が変わったB氏。彼は経済的にゆとりがある家庭に育った。私立高校を卒業するまで家庭教師の指導を受け、大学も無難に合格した。3人の弟も皆私立高校を卒業し、大学に進学。一流企業に就職した。
取り違えが分かったのは、B氏の3人の弟のおかげだ。彼らは自分たちと容姿や性格が似ていなかった兄B氏を不可解に思った。さらに亡くなった母親が生前「自分のもとに連れてこられた新生児は、用意していたのとは違う産着を着せられていた」と話していた。
3人の兄弟はDNA鑑定を依頼した。2009年、驚いたことに兄は弟3人と血縁関係がないことが判明した。その後3人は賛育会病院の記録を調べ、昨年実の兄であるA氏を捜し出した。
A氏は自分の人生を変えた賛育会病院に損害賠償を求める訴訟を起こした。東京地裁は26日、病院側の過失を認め、3800万円(約3億9300万ウォン)の支払いを命じた。病院側が控訴するかどうかは伝えられていない。
A氏は27日に東京で記者会見を行ない、「初めて自分の人生が違っていたことを知った時は、爆弾に当たったような衝撃を受けた」とし、「あんなことがなかったなら、私の人生は180度違っただろう」と悔しがった。そして、「一体なぜこのようなことが起こったのか信じられない。(病院に)私が生まれた日に時間を戻してもらいたい」と述べた。
一方、この話しは今年の秋に日本でヒットした映画「そして父になる」の原作となった。映画はA氏の実話をもとに新生児が取り違えられ、その後のねじれた関係を取り扱った。






