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良い締めくくりを支える三つの「心」

Posted December. 12, 2025 10:24,   

Updated December. 12, 2025 10:24


最初のブックトークを、いまも覚えている。1冊目の本を出し、初めて読者の方々と直接会う場だった。あのときは、自分の持っていた運をすべて使い切ってしまったのだと思った。作家志望として原稿を書いていた行きつけのカフェで、作家としてブックトークを開くことになったのだから。ただ、無名の作家のブックトークに、いったい誰が足を運んでくれるのか不安で眠れなかった。それでも、たとえ1人でも自分の本を読んでくれた読者がいることがありがたくて、私は一晩中、小さな贈り物まで準備して出かけた。心配とは裏腹に、優しい読者たちと出会った。本や人生、そして文章について語り合いながら、幸せな時間を過ごした。その時間はあまりにも胸がいっぱいになるもので、浮き立つ気持ちを隠すのが難しかった。ずっと心のなかで「落ち着いて、落ち着いて」と唱えていた。

ブックトークを終えた私は、会場を立ち去る読者一人ひとりを見送った。次にいつ本を出し、こんな場を持てるか分からない。この光景を、皆さんの後ろ姿まで含めて心に刻んでおきたかったからだ。空っぽになったカフェに、高校生ぐらいに見えるひとりの読者が最後まで残っていた。何か話したいことがあるかと尋ねると、10年が経った今も生々しくよみがえり、思わず姿勢を正してしまう言葉が返ってきた。「ブックトークの最後まで見届けたくて。最後のページまで心を込めて読むみたいに」。

私の座右の銘は変わらない。「締めくくりをきちんとしよう」。座右の銘とは、いつも身近に置いて自らの指針とする言葉だという。執筆や仕事、関係づくりを含め、自分が行うあらゆることについて、私はいつも「最後をちゃんと締めくくろう」と心に刻む。締めくくりをきちんとすることは、私にとって心を尽くすことと同義だ。変わらない初心、偽りのない真心、丹念に尽くす誠心。初心と真心と誠心、この三つの「心」を、最後の最後まで愚直に貫く。

作家生活14年目。映像と活字の世界を行き来し、ときに仲間と、ときに一人で作品を作ってきて分かったことがある。一分一秒を争う創作の現場には、情熱的な人はたくさんいる。だが、思っているほど「締めくくりのうまい人」は多くない。初心・真心・誠心をひとつに束ねて固く結んでこそ、忠実な締めくくりが可能になるからだ。そこに至るまでの道のりは、退屈で、果てしなく骨の折れる作業でもある。

陳腐な言い方だが、やはり心が大事だ。そして、だからこそ心がいちばん難しい。目に見えず、手でつかめず、瞬間ごとに揺れ動くからだ。揺れる心を何度もつかまえ直し、しっかりと結び直すことに、私は執拗なまでにこだわる。時間がかかっても削り、また削りながら、ほんの少しでも良くなろうと努める。

1冊目を書いていたときの初心、読者を見送っていたときの真心、句点まで丁寧に書いていた誠心は、今も変わらずにあるか。私はときどき自分に問い直す。どこかには、最後のページまで心を込めて読んでくれる読者がいると信じているからだ。たとえ才能あふれる作家ではなくても、ひとつひとつの締めくくりを誠実に結んでいけるなら、いつか将来、私の作品が新たに発見され読まれることがあっても、胸を張れるだろうという自負を抱いている。

「自慢できることといえば、今も習作のころと同じように、一生懸命であることくらいだ。雑文ひとつ書くにも、くだらないことは書くな、正直であれ、小さな真実でも、砂粒ほどの真実でもいいから、真実を書けと、自分を鞭打つように言い聞かせているが、『一生懸命』だけでは才能のなさを覆い隠すことはできないようだ」。作家の朴婉緖(パク・ワンソ)さんの言葉にうなずきながら、ようやく十数年ほど書いてきただけの私は、今日もまた心に誓う。一生懸命に、心を尽くして書こうと。