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[社説]龍山惨事、捜査結果を超えて収束への知恵を絞るべき時期だ

[社説]龍山惨事、捜査結果を超えて収束への知恵を絞るべき時期だ

Posted February. 10, 2009 09:23,   

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検察が9日、龍山(ヨンサン)惨事と関連し、警察の立てこもり鎮圧が、不法行為に対する正当な公権力の行使だったという点が、認められると発表した。検察は、惨事の原因を立てこもった住民らが投げた火炎瓶が、シンナーに引火し、見張り小屋の火災が起きたと結論づけた。また、立てこもった住民らが、歩道と車道に火炎瓶を投げつけ、市民の生命と安全に危害を加えた恐れがあり、緊迫した状況であった。警察の過剰鎮圧と見ることはできないという説明だ。

鎮圧作戦の際、人命被害が出たことは不幸なことだ。しかし、そのような結果をもたらした火災の原因は、シンナーの散布と火炎瓶の投下であり、警察の公務執行に法的責任を課すことはできない。さらに、不法暴力デモが横行する韓国社会で、警察に過度な責任を課す場合、一線で法秩序を維持する公権力が萎縮し、社会の混乱が加重される恐れもある。

しかし、検察は、警察の鎮圧作戦に対し、「(6人が犠牲となった)結果を見ると、事前の準備や作戦の進行上、残念な点がある」と遺憾を示した。検察は、警察の鎮圧準備や作戦に問題があったことを認めたのだ。鎮圧作戦の違法性はないとしても、警察が現場で取った措置が、すべて適正で適切だったと見ることはできない。

公権力の執行には、適法性に劣らず、適切性も重要だ。違法性がないとしても、警察のすべての行為が、正当化されるわけではない。ビルの屋上に火炎瓶400本とシンナー60本が積み上げられ、大型事故の危険性があっただけに、被害を最小限に抑えるため、事前措置を取るべきだった。龍山事件で、警察が必要十分な措置を取ったとは考えがたい。

金碩基(キム・ソクキ)警察庁長官内定者は、警察官1人を含む6人が犠牲となった惨事に法的責任はないとしても、道義的責任を感じて当然である。金内定者が、重大な鎮圧現場の状況で、無線機を切り、携帯電話で報告を受け、指揮をしたという点も理解しがたい。金内定者は、公権力の権威を生かしつつ、警察組職と国家のための道、名分もあり自分に正当な道を自ら探さなければならない。

政界は、社会的対立を拡大再生産し、政治的利得を得ようとしてはならない。野党民主党の特検捜査の要請は政略的だ。政府と政界が今すべきことは、立ち退き住民と零細商人の被害を減らす合理的な再開発政策をつくり、第2、第3の龍山事件を阻止することだ。