張美蘭(チャン・ミラン、25=高陽市庁)が16日、重量挙げ75キロ以上級で世界新記録を樹立し、金メダルを獲得している間、選手の控え室には紙袋が置かれていた。女子代表チームのオ・スンウ監督が持ってきたものだった。袋の中にはきれいにたたまれた韓紙があった。
オ監督は、「4月にガンでこの世を去った故キム・ドンヒ・コーチの遺骨箱を包んだ紙」と話した。
張美蘭が04年、アテネ五輪で銀ダルを獲得した時、代表チームのコーチを務めていた金コーチは、女子重量挙げ選手らには「ゴッドマザー」と呼ばれた。トレーニングで疲れた選手らには優しい姉であり、なかなか技量が伸びない選手らには最高の師匠だった。厳しい指導者としての生活を送りながらも、韓国体育大学大学院に進学し、修士や博士課程を修了するなど、実戦と理論を兼ね備えたコーチだった。
ガンの診断を受け、原子力病院のベッドに横になっていた金コーチは、選手たりのお見舞い拒んだ。そのような時間があれば、さらに自分を磨いてオリンピックで良い成績を出した方がいい、ということだった。それでも、選手たちは時間を割いてはお見舞いに通った。金コーチは今年4月1日、36歳という若さでこの世を去った。
「病院では少なくとも3ヵ月は生き延びれるだろうといわれたのに…。選手らがさらに練習に集中できるように、急いでこの世を去ったのでしょう」
韓紙を取り出すオ監督の声は震えていた。金コーチが後輩たちのために、早く自分の命を捨てたのだと、硬く信じていた。
10日、女子53キロ級で銀メダルを獲得したユン・ジンヒ(22=韓国体育大学)は試合を終えた後、金コーチを思い浮かべては涙を流した。小さいとき、両親を亡くし、祖母の手によって育てられたユン選手にとって、金コーチは「母親のような存在」だった。00年、雉岳(チアク)中学2年生のとき重量挙げを始めたユン選手は、期待株として選抜され、金コーチと初めて出会った。
釜山(ブサン)出身で、南星(ナムソン)女子中学校や高校、韓国体育大学を経て、国家代表としても活躍した金コーチは、指導者になってからは、しっかりした理論や特有の繊細さで幼い女子選手らを指導するのに優れた能力を発揮した。
未婚の金コーチは、給料のほとんどを選手たちのためにつぎ込んだ。「しっかりもの」と呼ばれていたユン・ジンヒは体重が増えず、滋養強壮を助ける漢方薬を自腹で買って飲ませたのも金氏だった。
オ監督は帰国すれば、選手たちと共に済州島(チェジュド)の龍頭岩(ヨンドゥアム)や、故人が生前によく通っていた釜山(プサン)のお寺を訪ねて、韓紙を燃やすつもりだ。オ監督は、「金コーチは海が好きだった」と話した。
金コーチは生前、オリンピックに出場する4人の選手の性格にあわせた、それぞれのプログラムを練り上げた。ファイルには、試合前日からどのように準備すれば最高の体調で臨めるかが、ぎっしり書き込まれている。
故人となった金コーチは北京には来ることができなかった。しかし、一枚の紙となって、娘であり、妹でもあったユン・ジンヒと張美蘭の試合を見守った。
張美蘭は今大会で、一度も失敗せず、軽くバーベルを持ち上げた。まるで、天から誰かがバーベルを引っ張っているかのように。
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