済州市奉蓋洞(チェジュシ・ポンゲドン)の漢拏山(ハンラサン)中腹にある12万坪の敷地に造成中の済州4・3平和公園は、1948年に南朝鮮労働党(南労党)武装蜂起を軍警が武力で鎮圧した4・3事件の犠牲者を追悼する場所だ。02年に着工され、09年までに総993億ウォンが投じられた。済州と西帰浦(ソギィポ)を結ぶ5・16道路と城山日出峰(ソンサン・イルチュルボン)に続く巨親(コチン)岳に位置する。4・3事件60周年を迎え、最近ここを訪れる観光客が増えた。
◆犠牲者の魂を称える慰霊祭壇の中に入ると、多くの名前が目を引く。約1万3500人の犠牲者の名前が村別に分けられ、黒色の大理石の壁面に刻まれている。犠牲者の数に改めて驚かされる。遺族は3万人に近い。4・3事件が、済州島の地にどれほど多くの不幸の種をまいたのか十分に察しがつく。慰霊祭壇と慰霊塔の除幕に続き、先月28日には、平和記念館がオープンした。遺族と進歩団体は、「60年間疎外された犠牲者の歴史を正した」と評価する。
◆しかし、在郷軍人会のような保守団体側は、「左翼寄り視点の記念館」と評価を切り下げる。展示室に入ると、「弾圧なら抗争だ」という南労党のビラや、「警察弾圧に抵抗」、「苛酷な虐殺」、「済州島は巨大な監獄であり虐殺の場だった」という過激なタイトルが目につく。銃殺のシーンや鎮圧部隊長の写真もある。南労党人民委員会を「大衆の支持を受けた組職」と説明し、解放後の韓国に入ってきた米軍を「占領軍」と表現した。左翼暴徒の蛮行を隠し、大韓民国の伝統性を否定しているという批判もある。
◆史料記念館ができれば、論議はさらに加熱するだろう。名前からして「4・3暴動」と呼ぶ保守団体は、「無念の犠牲者への追悼としては必要だが、事件の性格すべてを弾圧や虐殺と見る見方は、歴史の歪曲だ」と話す。事件の導火線となった南労党武装蜂起を客観的に扱った資料が一緒に展示されるなら、悲劇の歴史を総合的に理解するうえで役立つだろう。今日、済州道庁主催で「済州4・3汎道民慰霊祭」が行われる。政府代表として出席する韓昇洙(ハン・スンス)首相がどのような追悼のあいさつをするかに関心が集まる。
陸貞洙(ユク・ジョンス)論説委員 sooya@donga.com






