大統領の謝罪に韓国国民は慣れている。前職大統領の切なる謝罪も受けた経験がある。最近、政界を引退した前大統領候補まで謝罪した。政府高官も、財界も、マスコミも、大学総長も、堰を切ったように押し寄せる謝罪要求の前では、水に濡れた薄紙のように無力だ。韓国社会で公的謝罪は、このように日々その外延を広げ、時效はますます長くなる感じだ。最近の新聞は、謝罪した人や謝罪を要求する人、謝罪すべき人や言い逃れをする人で一色だ。ニュース・メーカーではなく「謝罪メーカー」たちが横行する世の中だ。
◆修辞学で謝罪文を通称するジャンルを「アポロジア(Apologia)」という。元祖は『ソクラテスの弁明』だ。ソクラテスは法廷で「無知の知」こそが、神が自分にくれた贈り物だという有名な弁論をし、死刑宣告を受ける。その後を継いで、リチャード・ニクソン、エドワード・ケネディなどが、世論の法廷で窮地に追い込まれた時、多様な論理で自分の境遇を弁明した。西洋の謝罪文は世論の攻撃を受けた公人の重要な防御手段だったが、いくら論理がしっかりしていて文体が流麗でも、刑事罰を免れることはできなかった。
◆豊かな伝統にもかかわらず、西洋のアポロジアは徐々に衰退する傾向にある。何より各種の法と制度が発達し、苦しい弁明の余地を残さないのが最も大きな原因だ。ここに加勢したのが「公衆関係学(PR)」という広報専門家たちの活躍だ。彼らは、公人と公衆の間をスムーズに行き交い、世論法廷が起こる気配を感じれば、事前に措置して事態が悪化しないように助言を惜しまない。これに比べれば、韓国は謝罪の全盛時代を謳歌しているようだ。深く誤った韓国の政治風土、お粗末な法制度、一言で千両の借金も返す温情主義が、謝罪蔓延の社会を導いている。自分の過ちを他人に被せる人よりは、丁寧に謝罪する人が良心的で、早く謝罪しない人よりは劣る。法と制度が謝罪する状況を未然に防止するなら、より望ましいことだ。
◆苦しいのは、そのすべての弁明を聞かなければならない国民だ。謝罪のインフレーションは、国民の耐性も共に育てる。もはや国民は信じない。謝罪は何の役にも立たない。心を無にして百潭(ペクタン)寺に行き、目頭を赤くしたある元大統領が隠した札束が、15年経った今、国内外で発見されているのだから…。
朴晟希(パク・ソンヒ)客員論説委員(梨花女子大学教授、言論学)shpark1@ewha.ac.kr






