権魯甲(クォン・ノガプ)容疑者は、拘束・収監の直後、拘置所に面会に来た知人に、陳承鉉(チン・スンヒョン)被告から5000万ウォンを受け取った容疑を否認し、怒りを抑えきれずにいたという。権容疑者が果たして5000万ウォンを受け取らずに、夫人が経営するレストランのカネを使ったどうかは、法が判断することだ。しかし、彼ががこの事件で逮捕されたことで、むしろ崔圭善(チェ・ギュソン)ゲートから避難生活を送っているという見方もある。
今ちまたを騒がせている金大中(キム・デジュン)大統領の三男、弘傑(ホンゴル)容疑者の不正を企画して取りまとめた崔圭善(チェ・ギュソン)被告という人物が、まさに彼の「特別補佐官」であった。金大中政権の発足当時、大統領府の入城を試みて失敗し、社稷洞(サジクドン、警察庁調査課の非公開部署)チームの追跡にあって米国に渡った人物が、1年半あとに帰国して権容疑者のもとで特別補佐官という名刺をばらまいたのだ。
崔被告は、同政権の発足初期である98年、某企業の専用機に乗ってサウジアラビアを訪れたり、大統領府の名を出して企業家らに会ったりした。しかし、大統領府の親族の不正の内偵をになった社稷洞チームが、執ように密着監視を行なったうえ、情報機関も加わって「ゴールイン」(拘束・収監)させようとするや、98年末に米国へ出国し、その後国内では忘れられた人物となっていた。
しかし、1年6ヵ月後の2000年6月に入国した崔被告に、権容疑者はまたとない安全な核の傘となった。彼を苦しめた社稷洞チームは、高級服ロビーの後遺症で解体し、希代の合作事業パートナー金熙完(キム・ヒワン)氏(前ソウル市政務副市長)も権容疑者の陣営で会って顔見知りになった。
権容疑者が、2000年の4・13総選挙で民主党候補の公認にばく大な影響力を行使したのは、政界を少しでも知る人なら誰でも知っていることだ。それだけか。20、30年もの間、金大統領に従い、苦労した同志らを公企業の社長や監査、重役に送る天下り人事を自由自在に動かした。論功行賞に法律が決めた基準があるわけでもなく、感謝の対象でもなかった。
権力は人事とカネから現われる。国会議員の公薦権や公企業の人事権を一手に握り、各種選挙や党内予備選挙の出馬者らに、多少なりとも力を貸すことができる彼の事務所は門前市を成した。ある日事務所を訪れた知人によると、権容疑者は廊下に並んでいる市民に会うのを嫌がり、彼を長い間捕まえて帰さなかったという。
権容疑者は、99年9月に金大統領との波乱万丈の40年を述懐した「誰かの支えになる人生は美しい(日本語版:金大中とともに)」という著書を出した。昨年11月、日本のたちばな出版から出た日本語版には「No.2の人生」という小題がついている。日本語版の小題がそれらしい。彼は金大中政権発足後には、「支え」というよりは「第2人者」であった。
弘傑容疑者は、帰国するといつも崔圭善被告と行動をともにした。このような状況が国家情報院(国情院)の目にとまり、林東源(イム・ドンウォン)当時国情院長と金銀星(キム・ウンソン)第2次長が、崔被告と弘傑容疑者の危険な関係を報告していた。林院長と金次長は、李姫鎬(イ・ヒホ)夫人から、報告に感謝する言葉まで聞いている。
李夫人は、当時周辺の人々に「弘一と弘業は、私が産んだ子でなくても話が通じるのに、弘傑は私が腹を痛めて産んだ子なのに話が通じない」と嘆いたという。崔被告は、このうようなスキに巧妙に入り込んで弘傑容疑者に近づいたが、社稷洞チームの追跡を受けた政権初期とは違って核の傘の下にいたため、情報機関側も慎重になるしかなかった。
国情院の大統領府への報告後、権容疑者は金大統領から呼ばれて、弘傑容疑者と崔被告の間を引き離すように指示を受けたが、大統領の願いを機敏にかつ徹底して行なった形跡はない。高齢の金大統領は、過去のように指示をちゃんと行なったかどうかに目を光らせた几帳面さが、若い時に比べて目に見えて緩んでいるという。崔被告は、弘傑容疑者に連絡して、国情院の動きを封じることを試みた。
崔被告と金氏は、金大統領や権容疑者の20年、30年の同志ではない。金氏は、国民会議、自民連、ハンナラ党を転々とし、権容疑者の下に新たな居場所を見出した人物だ。崔被告も米国のコネクションを武器に、ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補側にもコネをつけ、民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補とは1次対面までした。権容疑者が、この2人が弘傑容疑者を引き入れて、怪しい事業をすることを全く知らなかったとしても、決して責任がないとはいえない。
No.2の特別補佐官が、国中を騒がせている。金銀星国情院前次長が、権容疑者が5000万ウォンを受け取った事実を白状して、権容疑者をゴールインさせた背景も気になる。権容疑者は今も拘置所で5000万ウォンを受け取った容疑で逮捕されたことを、悔しく思っているかもしれない。
黃鎬澤(ファン・ホテク)論説委員






