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防諜司将校「国会突入命令従わず、ミネラルウォーターを買うなど時間稼ぎ」

防諜司将校「国会突入命令従わず、ミネラルウォーターを買うなど時間稼ぎ」

Posted December. 03, 2025 10:38,   

Updated December. 03, 2025 10:38


昨年12月3日の非常戒厳の夜、「国会へ向かい市民を鎮圧せよ」との命令を受けた軍人と警察は「この1年間、苦痛と後悔の中で生きてきた」と打ち明けた。指示に抗した者も、混乱の中で従うことになった者もいたが、残ったのは同じ罪悪感と無力感だった。

戒厳解除が可能になった背景には、第一線将兵の「抗命」があった。鎮圧命令を拒否した将校のパク・ホジュン氏(仮名)は、その日非常招集直後、部隊が瞬く間に「戦時体制」へ転換するのを目撃した。尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の戒厳宣言がテレビで流れると、指揮部は「合法的命令だ」とし国会への出動を命令した。朴氏と同僚は押し出されるように部隊を出たが、「これは正しくない」との思いで国会突入を拒んだ。彼は「歴史の罪人になるわけにはいかなかった。時間がもう少しあれば(命令を下した)司令官を逮捕していたかもしれない」と語った。

実際、国軍防諜司令部の兵力は国会周辺数百メートル外で待機し、「突入不応」状態を維持した。今年9月の法廷で彼らは「国会から4ブロック離れた場所で待機し、コンビニでミネラルウォーターを買って飲みながら時間を稼いだ」と証言した。当時防諜司要員の中で国会や中央選挙管理委員会の敷地に足を踏み入れた者は一人もいなかった。

一方、出動指示にそのまま巻き込まれた者もいた。国会封鎖を指揮した警察幹部の一人のキム・ジョンウォン氏(仮名)は、その夜の混乱の中、部下を率い国会へ向かった。「行って何をするのか」と問う部下に、答える言葉を持たなかった。国会入口前で市民と警察が衝突すると、キム氏は「まず事故を防ぐべきだ」と考え、通常の集会警備の要領で市民の混乱を抑え安全確保に動いた。戒厳解除後、警察内には長く重苦しい空気が漂った。彼は「最初の数カ月は互いに『すまない』と言うだけでした。あの日の判断一つ一つが今も後悔として残っています」と語った。

戒厳宣言と国会封鎖を決めた体系はすべて「上部」から始まった。しかし現在、懲戒・審議対象となった多数は当時現場で踏みとどまっていた実務者たちである。朴氏ら、その日に勇気を出した将兵も国防部の懲戒審議と人事委員会を目前にしている。


ソ・ジウォン記者 wish@donga.com