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朝鮮白磁に感嘆した伊丹潤、節制の建築を紡ぐ

朝鮮白磁に感嘆した伊丹潤、節制の建築を紡ぐ

Posted September. 20, 2025 08:41,   

Updated September. 20, 2025 08:41


「この白磁の壺は目を拒む硬い白ではなく、まるで光を吸い込むかのように濁りのない乳白色の白く柔らかな色である。…朝鮮文化に脈々と流れる根深い伝統への保守性と、それに対する自負が、意図的に作られた個人の美意識への拒否や抑制となり、むしろ今日までの朝鮮を形づくってきたのではないか」。

在日韓国人建築家の伊丹潤(1935~2011・庾東龍=ユ・ドンリョン=)は、朝鮮白磁に常に感嘆の念を抱いていた。済州島(チェジュド)の「方舟教会」や「葡萄ホテル」、日本の「墨の家」などで知られる伊丹潤は、石や風、土といった自然との調和を重んじる建築家である。2003年にはアジア人として初めてフランス国立ギメ東洋美術館で個展を開催するなど、その建築世界は国際的にも高く評価された。その根底には、自然の美学を備えた韓国伝統芸術があったとされる。

本書は、伊丹氏が建築事務所を設立した1960年代後半から晩年まで綴った文章を通じ、彼の生涯と世界観を映し出す一冊である。黒い湯気の立つ麺を見て「墨と白だけの水墨画のような空間」を夢見たり、手作りの硯で「手で作る建築」の価値を思い返すなど、日常の体験が建築的思考と融合する文章で構成されている。娘で建築家のユ・イファ氏が編集を担当した。

伊丹潤は日本に住みながらも韓国籍と韓国人としてのアイデンティティを貫き、生涯にわたり韓国伝統芸術を探究した。その対象は、存在を誇示しない宗廟(チョンミョ)、澄みきった穏やかな粉青茶碗、静かに輝く新羅時代の仏像など多岐にわたる。これらを眺める伊丹潤の視線には、洞察の広さと深さが如実に表れている。朝鮮、英国、日本の家具を比較する場面も印象的だ。

「朝鮮の家具は、材料にあまり神経を使っていないように見える。材料が豊富でなかったこともあるだろうが、作り手がその都度、適当な木を無造作に選んだ印象だ。(…)もともと作為的でないため、穏やかで純粋な聖者の眼差しのように、静かに光を放つにすぎない」

節制と調和の美学がうかがえる彼独自の建築世界が、どのように築かれたかも垣間見える。北海道に建てた「石彩の教会」で、石を主材料に用いた理由を説明する場面を見てみよう。

「果てしなく広大で景観が壮大な場所だ。人の手の跡が付いた人工的なものは、冬の一季で全て終わってしまう、点や線では耐えられない。この景観に抗うには、必ず塊でなければならなかった」

本書を読む間、まるで伊丹潤が建てた建物に招かれたかのような気分になる。家を建てるように細やかに書かれた文章と文脈は無駄なく整然として品格がある。随所には自身が作った詩が装飾的要素を添える。「石山の中の名もなき鳥/隠された石の道を/鳥とその命は知っていた」(『石と鳥』より)などの一節から、建築と自然の本質に絶えず近づこうとした彼の生涯が生き生きと感じられる。


イ・ジユン記者 leemail@donga.com