
1937年に日中戦争が勃発し、翌年、朝鮮にも総動員令が下された。日本は、「内鮮一体(日本と朝鮮は一つだ)」を叫び、「第3次教育令」を通じて日本語教育をより一層強く推し進めた。この教育令を機に、朝鮮に住む日本人と朝鮮人小学校の児童を対象にした作文コンテストが開かれた。
当時、作文大会は、1938年から1944年まで計7回にわたって開かれた。朝鮮総督府の機関紙だった京城日報社の日本語の子ども新聞「京一小学生新聞」が主催した。朝鮮総督府と京城帝国大学、京城日報の関係者たちが審査を経て、優秀作を選んだ。第1回と第2回の受賞作は、「総督賞模範文集」という単行本で出版されたりもした。この時、子供たちが書いた文の一部を集めて編んだ本だ。
著者は高校を卒業し、映画と演技を学ぶために日本に行ったが、韓日関係に関心を持って勉強し始めたという。俳優として活動した著者は、女優の歴史を研究しながら1940年に封切りし、大きな反響を起こした映画「授業料」を知ることになる。この映画の原作が、第1回朝鮮総督賞作文コンテストの受賞作だ。光州(クァンジュ)プクチョン公立尋常小学校に通っていた4年生のウ・スヨンさんが書いた文だった。
この「授業料」を皮切りに、本は子供たちの文を紹介しながら、子供たちの目に映った軍国主義と帝国植民地社会の姿にスポットライトを当てる。文章の中には、祖母と2暮らしの子供が授業料を頼みに遠い親戚のところに行くために、朝から日が暮れるまで歩く話も登場する。猫を飼い、暮らしに役立つ豚を育て、部屋の整理をせずに叱られる日常も盛り込まれている。
本は、このような中でもどんな文が受賞作に選ばれ、どんな評価を受けたのかについて調べている。当時の初等教育体系と社会像に関する解説を加えて、子供たちの文にさえ戦争と帝国主義の影が濃く垂れ込めていることを示している。
解説に従って、子供たちの文の行間を読んでみると、「子供に大人が作った歪んだ道徳的基準、社会的約束を強要することは、人類全体の損失であり悪徳に近いことだ」というメッセージが強烈に感じられる。
金民 kimmin@donga.com





