「李在明(イ・ジェミョン)政府は、地域間対立を誘発しないよう賢明に対応してほしい」
忠清南道(チュンチョンナムド)の金泰欽(キム・テフム)知事と忠清北道の金榮煥(キム・ヨンファン)知事、李莊雨(イ・ジャンウ)大田(テジョン)市長、崔旼鎬(チェ・ミンホ)世宗(セジョン)市長が19日、世宗市に集まってこのように叫んだ。海洋水産部(海水部)の釜山(プサン)移転の推進に反発する席だった。彼らは、「海水部の釜山移転は、国家発展に役立たない」とし、「大統領室と国会議事堂の世宗への移転から迅速に推進されなければならない」と強調した。同日、釜山では正反対の声が出た。朴亨埈(パク・ヒョンジュン)釜山市長は、「海水部の移転を歓迎する」と、釜山港北港を適合地に挙げた。他の省庁の海洋関連業務も海水部に移すことを提案した。
李大統領が5日、就任後初の閣議で海水部の釜山移転の準備を指示した後、地域間対立に発展する様相を見せている。賛成側は、釜山を海洋首都に育成することで地域均衡発展を実現するべきだとアピールする。反対側は、世宗市に移転した海水部を再び釜山に移せば、業務の非効率性があがるだけで、行政首都の完成という目標から外れると指摘する。
海水部の一省を移転したところで、どれほど大きな均衡発展の効果があるのかと疑問に思いながらも、一方では、成長エンジンが消えていく地域の、藁にもすがりたい気持ちも理解できる。釜山の人口は、この10年間で20万人が減少した。首都圏に移った釜山の若者人口は10年間で10万人を越え、合計出生率は0.66人で全国で最低水準だ。釜山だけでなく、首都圏を除いた多くの地域が経験している現象だ。
海水部の移転をめぐる賛否両論には、単に1省庁の移動ではなく、長期間続いた首都圏の一極体制とそれによる人口流出や地域消滅、少子高齢化など韓国社会の難題が内在している。「海水部をどこに送るのか」という質問は、「我が国を、今後どのように構築していくのか」という質問と同じだ。逆説的に、海水部の移転に反対する論理である行政首都の完成も、首都圏に集中した行政機能を地域に移管し、国土均衡発展を成し遂げるのが目標だ。李在明大統領が、大統領選挙の公約として国会世宗議事堂、世宗大統領執務室の建設を掲げたのも同じ理由からだ。
李大統領はまた、首都圏とともに中部圏、東南圏、大慶(テギョン)圏、湖南(ホナム)圏の5大超広域圏と済州(チェジュ)、江原(カンウォン)、全北(チョンブク)の3大特別自治道の「5極3特」を構築すると明らかにした。基礎と広域自治体の首長を経た初の大統領に対する地域の期待も大きい。
ただ、宣言に終わるのではないかと心配になるのも事実だ。新しい政府が入る度に、「地方が生きてこそ国が生きる」と均衡発展を強調してきた。金泳三(キム・ヨンサム)政府は、過密負担金制や首都圏工場総量制などで、首都圏への偏りを抑制しようとした。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、公共機関の地方移転、行政首都などを施行し、李明博(イ・ミョンバク)政府は「5+2の広域経済圏」で地域産業を育成しようとした。朴槿恵(パク・グンへ)政府も各市道に創造経済センターを建設して、地域を再生させるとしていたし、文在寅(ムン・ジェイン)政府は地域均衡ニューディールを推進した。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府では、地方時代の総合計画を発表した。
数十年間、新政府が発足すれば「地方均衡発展」を叫んだが、首都圏はさらに巨大になった。地方はますます小さくなっている。行政安全部の統計によると、昨年の首都圏居住人口は2604万人で、前年より3万以上が増えた。一方、非首都圏の人口は2516万人から87万人以上減少し、首都圏と非首都圏との人口の格差は史上最大値を記録した。働き口を求めて青年たちが首都圏に発ち、少子化が深刻化し、全体228の市郡区のうち57%(130ヵ所)が消滅危険地域になっている。地方は、青年就業者数が最大70%も減少した。全体人口の半分(50.7%)が集中している首都圏も、長い間苦しんでいる。高騰する住宅価格や不安定な雇用問題で、若者らは結婚や出産を諦める。昨年第2四半期のソウルの合計出生率は0.56人で、全国で最も低かった。
あえて統計を並べなくても、石のように固まった韓国社会の様子は、今後も改善される希望すら見えない。このような現状では、荒唐無稽に聞こえるが、ソウルと似た水準の都市が全国に1ヵ所だけもっとできればどうなるのだろうか? 人口流出や雇用、住宅、少子化、ひいては教育問題まで相当緩和されるだろう。ソウルのような都市がもう1つできて計3ヵ所になれば、私たちは全く違う世界に住むこともできる。
均衡発展が切実な理由だ。個人的には、均衡発展を悩むたびに、欧州特派員時代、リールやナントなど、フランスのいたるところで見たミッテラン元大統領の記念碑が思い出される。記念碑には、ミッテランの地方分権への努力が盛り込まれていた。王政国家、ナポレオン時代を経たフランスは、すべての権限がパリに集中し、欧州でも中央集権の典型と呼ばれ、国家発展を阻害するほどだった。これに対し、左派のミッテランは既得権の反発にもかかわらず、中央政府の権限を縮小し、地方政府の財政権限を強化する地方分権を推進し、1982年に関連法案までまとめた。ミッテラン元大統領の後に続いた右派性向のジャック・シラク大統領が、2003年に改憲を通じて、「フランスは分権化(dcentralise)した共和国」と明文化し、地方政府の自律権が憲法で保障された。これに合わせて、フランスの各地域は特性に合わせて発展し、首都圏と非首都圏との不均衡も相当改善された。
私たちも地方により多くの権限を委譲するためには、地方財政の自立性から高めなければならないだろう。現在、総租税のうち地方税の割合は25%前後に過ぎない。いわば「3割自治」のために、地方自治体は政府補助金などに頼りながら、中央政府に依存するほかはない。一方、カナダや米国、ドイツなどの先進国は、地方税の割合が45~55%に達する。地方税の比率を高める税制見直しが必要な理由だ。
フランスのように、憲法で地方自治関連の内容を強化することも考慮に値する。改憲を通じて地方自治体ではなく、「地方政府」に名称を変更し、「大韓民国は地方分権国家を目指す」という内容を入れるやり方だ。地方分権強化条項を憲法に明文化しようという意見は、地方からは絶えず要求してきた。
今年は、1995年6月27日に全国同時地方選挙で地方自治が本格的に発足して30周年になる年だ。30年間の生活密着型政策開発とインフラの拡充など、地方発展を成し遂げた前向きな要素も少なくないが、首都圏集中は深刻化し、地方は消滅危機に追い込まれている。首都圏中心の現体系で限界に達した韓国にとって、地方分権は選択ではなく生存の問題だ。
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