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「尹権委」になってしまった人権委、歴史を忘れて今だけを生きる

「尹権委」になってしまった人権委、歴史を忘れて今だけを生きる

Posted February. 27, 2025 08:42,   

Updated February. 27, 2025 08:42

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安昌浩(アン・チャンホ)国家人権委員長に初めて注目したのは人権委員長候補の時だった。安氏が憲法裁判所の裁判官を務めた後、弁護士として活動していた時、未成年者の性売買及び性的関係の女性「盗撮」を犯した企業2世を弁護したことを知ってからだ。誰でも弁護人の助力を受ける権利があるが、弁護人は自分が誰を弁護するかを選択することができる。大統領まで罷免できる憲法裁裁判官を務めた人物が、裕福な破廉恥犯罪者の弁護を引き受けたことは、良くは見えなかった。

さらに、ソウル江南区(カンナムク)のアパートを長男と「売買」したこともあった。贈与税の回避、長男の買収資金形成などをめぐる疑惑を安氏は、「長男の思い出のある家」という言葉で覆い隠した。安氏の行いは、人権、正義より富と財が本心だった。

国家人権委員長という肩書きがやや似合わない人物という個人的な懸念は、昨年12月3日の「非常戒厳」を経て現実のものとなった。今月10日、人権委は尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の弾劾審判防御権保障勧告を議決した。案件の名称は、「戒厳宣布で引き起こされた国家的危機克服対策勧告の件」だったが、骨子は憲法裁が弾劾審判を早期に却下し、尹大統領を釈放することだ。「大統領の危機」を「国家の危機」とみなしたのだ。絶対王政時代にも通用した「朕が国家」と似た発想だった。人権委全員委員会に出席した10人の委員のうち、安氏と李忠相(イ・チュンサン)、金龍元(キム・ヨンウォン)氏ら6人が賛成票を投じて可決した。18日には、拘束起訴された)朴安洙(パク・アンス)前陸軍参謀総長、呂寅兄(ヨ・インヨン)前防諜司令官など、戒厳軍の首脳部を速やかに保釈するよう勧告した。立法権を失いかけた国会、1980年の光州(クァンジュ)に戻りかけた国民は、人権委の関心外だった。人権委が保護する「人」には、戒厳軍首脳部と尹大統領しか見えなかった。国家「尹」権委員会になってしまったと自嘲する者もいる。

来年には国家人権機関世界連盟(GANHRI)の認定小委員会による各国人権機関の審査がある。118の加盟機構で構成された同連盟の審査は5年ごとに行われるが、2021年、韓国人権委はステータスAと認定された。憲法と法律に保障された人権機構の独立性、構成員の多様性、業務の独立性などが評価基準だ。01年の発足以来、人権委はこれまでステータスAに認定された。朴槿恵(パク・クンヘ)政権でも審査が延期されたことはあったが、最終的にはステータスAに認定された。

しかし、来年は結果を保証できないという声が出ている。世界の外信が大韓民国の国会に押し入る戒厳軍とそれを指示した容疑で拘束された大統領を目の当たりにしたが、その大統領が任命した人権委員長は大統領を救おうと躍起になっている。大統領を罷免すべきだという世論が50%を超え、人権委の職員たちもこれではいけないと立ち上がったが、安氏と側近たちは気にも止めない。

生涯独立運動に献身し、学生を守るために総長職まで投げ出した金俊燁(キム・ジュンヨプ)元高麗大学総長(1920~2011)は生前、「現実に生きるのではなく、歴史に生きなさい。正義と真実と善は必ず勝利する」という言葉を残した。最近、人権委の内部掲示板に誰かがこれを引用した。ところが、安氏が率いる人権委は逆行している。歴史を見ず、今日だけを生きている。