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秋の音

Posted September. 16, 2022 09:14,   

Updated September. 16, 2022 09:14

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道教に心酔して神仙術を身につけると言って山での暮らしを選んだ友人を懐かしんで送った歌。うら寂しい秋の気配の中、友人を懐かしみ、散歩に出ると、自然に詩を口ずさむ、今この時、あなたも眠れないことだろう。人気のない山の中の寂寞を破る松笠の落ちる音を聞きながら、あなたも私のことを考えていることだろう。友人に対する厚い友愛でなければ、簡単には描ける想像ではない。互いが懐かしく思うことを疑わないので感じられる自信であり、テレパシーだ。詩人がこのように安否を伝えるのは、友人が味わう山中の静かな暮らしを妨害したくないからだろう。まるで、待っていたかのように、戻ってきた友人の答えも淡々としている。「露が滴って、アオギリの葉が鳴って、秋風に桂樹の花が開いた。その中に神仙術を修行している友がいるが、簫(しょう)の笛を吹いて、山の上に出ている月をもてあそんでいる」。(丘丹「韋應物の秋夜の詩に答えて」)。親友同士、やり取りする小さな声は、秋の清らかさと趣を帯びている。「山には人気がなく、松笠の落ちる音」と「アオギリの降る露の音」、まさに二人が一緒に楽しんでいる静かな秋の音のためだ。

韋應物の詩の中で山水庭園を素材にした作品は、陶渊明の素朴さ、王維の淡白美を受け継いだという評価を受ける。その詩の趣を「山の奥深くで薬草を掘り、湧水を飲んで岩に座り、とても気持ちがよく、家に帰ることを忘れてしまうほど」と称えた人もいる。