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星の教え

Posted March. 17, 2021 08:17,   

Updated March. 17, 2021 08:17

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同じ先祖をもつ人々が死に物狂いで争うのは、そう珍しくない。誰かは、彼らに対して兄弟であることを絶えず悟らせなければならない。10日前にイラクのウルであったことは良い例だ。

ウルは、ユーフラテス川流域の古代都市で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の始祖であるアブラハムの故郷だ。シュメール文明が花開いた場所だが、今では廃墟となったそこに多様な宗教人が集まった。会合の冒頭で1人は聖書を、もう1人はコーランを朗唱した。当然、アブラハムに関する内容だった。アブラハムが神の命令でウルを発ちカナンに行くところは聖書で、子供のいない年老いたアブラハムに二人の息子、つまりイシュマエルとイサクをくださった神に感謝を捧げるところは、コーランで朗唱された。それは、朗唱というよりも、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教が同じルーツから生まれたという証言に近かった。

アブラハムを先祖に持つ人々がウルに集まったのは、イラクを訪問中のフランシスコ教皇のためだった。教皇はこれに先立って、2人が朗読したことと延長線上にある「創世記」について言及した。「空を見上げてほしい。数えられるものなら、あの星を数えてみなさい。君の子孫があんなにたくさん増えるだろう」。神がアブラハムに多くの子孫を約束するくだりだ。そのように子孫は星のように増えた。しかし、彼らは歳月が経て、互いに違う宗教に分かれて争い始めた。同じ宗教の中でも、死に物狂いで戦うことが一度や二度ではなかった。今この瞬間もそうだ。

教皇は、ウルの砂漠の真ん中で、異なる宗教を持った兄弟に夜空を考えてみなさいと言った。「星が夜空を照らすのは、一緒に輝いているからです」。兄弟で戦わず、星のように群れを成して憎悪と暴力の雲を取り除こうというのだ。迫害を受ける兄弟の涙を拭おうというのだ。内戦で地獄のような生活を送るシリア難民のために、一緒に努力しようというのだ。一言で、アブラハムが眺めたような星を眺めて学ぼうということだ。