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少年が目撃した死

Posted October. 28, 2020 08:37,   

Updated October. 28, 2020 08:37

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心の傷は時には実践的な理由につながったりもする。アルベール・カミュが47歳で死去したために未完成となった小説『最初の人間』に出てくるエピソードは良い例だ。

ある日のこと。お婆さんは孫に、兄や他の臆病な家族よりも勇敢だと言って、鶏小屋に行って鶏を1羽つかまえて来るように言った。勇敢だとほめられたので、少年は嫌と言えなかった。しかし、鶏をつかまえることは簡単なことではなかった。鶏小屋はおびえた鶏の鳴き声が響いた。少年も鶏同様、おびえた。鶏小屋の床は汚れ、鶏はばたばた逃げ回った。少年はなんとか1羽つかまえ、青白い顔でお婆さんに持っていった。するとお婆さんは勇敢な彼だけに鶏のしめ方を見せてやると言った。「そこ立っていなさい」。少年は台所で、身動きせず全てのことを見ているほかなかった。お婆さんは鶏の頭をねじり、軟骨に包丁を深く刺し入れた。鶏は激しくけいれんした。白い皿の上に血がポタポタ流れ落ちた。少年は、自分の血が抜け出るようだった。足の力が抜けた。鶏のうつろな目はまぶたで覆われた。一つの命の終わりだった。

自伝的な小説で、ここに出てくる少年ジャック・コルムリはカミュ自身だった。この話はカミュが実際に経験したことだった。死んでいく鶏の姿が彼の脳裏に深く焼きついた。彼は鶏の死を受けて感じた名前の分からない恐怖を決して忘れることができなかった。それは明確にトラウマだった。しかし、そのトラウマは命の大切さを呼び覚ます教訓的な事件でもあった。カミュが死刑制度の廃止を求める論考『ギロチンに関する考察』を書いたのは、この事件と無関係ではなかった。1957年に発表されたこの論考は、フランスの死刑制度廃止に大いに貢献した。彼が少年時代に経験した悪夢が彼を深く考えさせ、人間を含むすべての生命を温かい目で見るようにさせた。