
1977年10月2日(現地時間)、米国ロサンゼルス・ドジャース・スタジアム。
ホームチームのロサンゼルス・ドジャースの3番、ダスティ・ベイカー(71・現ヒューストン・アストロズ監督)が6回裏の2死走者無しの場面で本塁打を放った。ベイカーのシーズン30号目だった。シーズン終盤に出たこの本塁打で、ドジャースはメジャーリーグ史上初めて「30本塁打カルテット」(チームに4人の30本塁打記録者が存在すること)を保有したチームになった。
ベイカーがダイヤモンドを一周してホームに帰ると、待機打席にいたグレン・バーク(1952~1995)が右手を頭の上に挙げた。ベイカーも右手を大きく振ってバークの手に当てた。「ハイタッチ」が生まれる瞬間だった。
ハイタッチは、これからは米国で毎年4月の第三木曜日(今年は16日)を「ナショナルハイタッチデイ」として記念するほど人気ある挨拶の一つになった。2002年にバージニア大学の学生たちが、互いの良いエネルギーを伝えようと一日中ハイタッチをしたことから記念日となった。
ベイカーは2016年にあるドキュメンタリーに出演し、「正直バークを手を挙げた時、何をしてもらいたいんだと思った。その前までは、一般的に拳や肘をぶつけて喜びを分かち合ったからだ。なぜか手のひらをぶつけなければならないような気がして、とりあえずそうした」と言い、「人々から『あなたがハイタッチを発明した』と言われる度に、『違う、グレンが場を作り、私はただ調子に乗っただけだ』と答えている」と笑顔で語った。
ところが、これからは少なくもメジャーリーグ競技場でハイタッチを見るのは難しくなるかもしれない。ベイカーは12日、スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」とのインタビューで、「いつか、今シーズンが開幕すれば、新型コロナウィルス感染拡大の影響でハイタッチを禁止する可能性が高い」とし、「もしかしたらハイタッチが永遠になくなるかもしれない」と話した。
ただの笑い話でなくなる可能性もある。米プロバスケットボール協会(NBA)は、すでにリーグを中止する前に選手たちにファンとハイタッチをしないよう勧告した。手のひらを通じてウィルスを伝わる可能性があるからだ。NBA事務局は、そのかわり拳をぶつけるよう呼びかけた。12日に開幕した台湾のプロ野球でも選手たちは身体の接触を避けようとハイタッチをしなかった。
また以前のハイタッチの話に戻ろう。史上2度目のハイタッチが出るまでは、そう長い時間はかからなかった。ベイカーに続いて打席に入ったバークが連続打者本塁打で自身の1号本塁打を放ったからだ。
黃奎引 kini@donga.com