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人生の1勝

Posted November. 19, 2019 08:40,   

Updated November. 19, 2019 08:40

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ローマといえば思い出されるアイコンの一つが剣闘士だ。ローマ人たちの剣闘士への愛は、私たちが考えている以上だった。ギリシャやローマの都市を見て回ると、うんざりするほど出会う遺跡が円形競技場だ。ローマ人が住んでいた都市ごとに、円形劇場で剣闘試合が行われていない所がない。剣闘試合は、剣闘士と剣闘士の間の決闘だけでなく、剣闘士と猛獣、あるいはあらゆる動物との対決、動物と動物との戦いも多かった。剣闘士の試合が行われる日は、円形劇場の外には動物の檻がいっぱいだったので、動物園さながらだったという。

「ローマ人があれほど検討が好きなのは、どんな頭のつくりをしているのか」という気もするが、考えてみれば、より人道的であるだけで、現代の世界でもあらゆるプロスポーツと格闘技でいっぱいだ。人間は定期的にアドレナリンを噴出しなければならない生物であるようだ。

剣闘の試合は映画やドラマのために有名になったが、相当歪曲されている。映画の中で剣闘士は、地下の監獄で人間以下の待遇を受けながら獣のように暮らしている。試合で負ければ死である。しかし、実際の剣闘士はそのようには暮らさなかった。スターたちは、尊い存在で高価な体だった。2軍、3軍の選手たちは待遇が違っただろうが、地下の牢に閉じ込めるほどではなかった。今日の芸能事務所のような事務所があって、剣闘士の戦いを主管したが、剣闘士のランキングによる値打ちとコストを正確に計算した。地方都市で1群の試合を開くためには、巨額の費用を払わなければならなかった。生死の対決は極めて少なかった。それでも剣闘試合に出場するためには、命をかけなければならなかった。

今回テッサロニキ博物館で、剣闘士の記念碑が見つかった。4つあるが、2つは勝利した回数を星で刻んだ。一人は13勝、一人は3勝だった。現代スポーツに馴染んでいる私たちにはわずか3勝かとも思えるが、死んだり、障害を負ったりしかねない対決で3勝は決してたやすいことではない。「人生はスポーツではない」という言葉がある。一つだけの命を守って生きていかなければならない人生においては、1勝も大切で、それがすべての時もある。人生は実験ではない。為政者たちもどうかそのことに気づいてほしい。