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敵から学び、盗むべし。

Posted October. 08, 2019 09:03,   

Updated October. 08, 2019 09:03

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アテネを後にして北へと向かった。ギリシヤ独特の緩やかな丘と紺碧の空が織りなす傾斜面を眺めていると重装歩兵の隊形が眼に浮かぶようだった。一番の軍隊、最初の戦術と武器は「大地」である。地形が戦術を決める絶対的要素ではないけれど、地形を考慮しない戦術や武器の選定はあり得ない。岩地や丘の多いアテネ周辺の地形を見る限り、重装歩兵を強みとし、騎兵に弱かったギリシヤに納得する。

しかし、中北部のテッサリアに近づいたとき、はっとさせられた。目の前に広げられたのは絵に描いたような平野だ。これまで見たギリシヤの野原というのは、丘と丘の間を繋ぐような狭い平地が多かった。ところが、テッサリアに入った途端、正真正銘の平野が広がっている。所々見える丘も馬に乗って登るに容易く、むしろ馬の訓練に適した牧草地としてあつらえ向きの場所だ。

ギリシヤの中北部は南部と違って騎兵が強かった。特に、テッサリア地方はギリシヤの屈強な騎兵を輩出したことで知られた。騎兵の天国、戦術家の天国と言われる場所は、このように平野と牧草地の丘が程よく広がっている地形が多い。

この騎兵はアテネ人にとって悪夢であった。アクロポリスの丘にそびえ立つパルテノン神殿の壁画を飾ったパネルには、重装歩兵とケンタウロスが戦う場面がことさら多い。半人半馬のケンタウロスは騎兵を象徴したものという説もある。アテネ人にとって騎兵の悪夢がいかほどだったのかは、そのパネルを見れば察しがつく。

しかしながら、アテネ人は騎兵をケンタウロスのような忌々しいアイコンに貶めることよりも、騎兵の養成に力を入れた。努力はしたものの成功には至らず、結局ペロポネソス戦争でスパルタに敗れる原因の一つになる。

敵を呪ったり恨むことは簡単だ。しかし、パルテノン神殿のパネルのように勝利の足しにはならない。勝利には知恵が必要である。敵からも学べるものは学び、盗んででも自分のものにすべきだ。これぞ過去の戦争史に一貫した勝利の方程式である。