
プロ野球元年の1982年に会社の同好会を中心に生まれた社会人野球は、2008年の北京五輪の野球で金メダルを獲得して以来、急速に成長した。暖かい季節の休日には明け方から夜遅くまで野球場で野球試合が行われる。平日の明け方や夜にも試合が続くこともある。
1986年、淑明(スクミョン)女子大学体育教育科に入ったチョン・ムンスク氏は、ソフトボールのクラブに加入し、ソフトボールの魅力に嵌った。1990年の北京アジア大会にソフトボール代表として出場したチョン氏は、ソフトボールの魅力を広く知ってもらう方法を考えあ挙句、1999年から野球・ソフトボール審判として活躍し始めた。2005年には世界野球・ソフトボール連盟(WBSC)で国際審判資格まで取得した。この資格を取っているのは、現在韓国では5人だけ。このうち女性はチョン氏だけだ。チョン氏は、「米国や日本などソフトボール先進国は、ソフトボールだけで選手や審判としてのキャリアを積むことができるが、韓国では容易でない。野球とソフトボールを並行しって経験を積んでいるうちに野球にも嵌るようになった」と話した。
審判として活動した初期に女性審判としての苦労も多かった。女性であることを理由に、露骨に無視されることも多かったという。チョン氏は、「試合が始まると選手同士で、『おい、女だってよ。女が審判やるんだって』と話すのを何度も聞きました。すると、私の判定に従おうとせず、自分たちで勝手に判断することもありましたね。今は認識も大きく変わって、そういうことは殆どないですね」と話した。
審判として生き残るためには専門性が必要だと感じたチョン氏は、2010年に自腹で米国フロリダ州にあるジム・エバンス審判学校で5週間の教育課程を修了した。1990年に設立された同校は、審判の再教育で名声が高い。チョン氏は、「当時、航空料と教育費、滞在費などで約700万ウォンを使って教育課程を修了した。英語は30%くらいしか聞き取れなかったが、二度見る勇気が出ないほどたくさんのメモをしながら勉強した。自分だけの審判としての哲学を築いた時期だった」と話した。
チョン氏は、シーズンが始まると毎週2試合、年間約100試合で審判を務める。チョン氏は、「インフラが比較的よく整備されている首都圏に比べて地方は審判の数も少なく、競技場に使用にも困難がある。地方自治体が競技場を建ててはいるけど、担当公務員たちがすぐ入れ替わるので混乱が続いている。社会人野球の発展のために、管理責任者の専門性を高める必要がある」と指摘した。
チョン氏は昨年から野球審判アカデミー(UA)で社会人野球審判教育を総括する教育理事として活動している。韓国プロ野球の元年である1982年に大韓野球協会審判長だった故ミン・ジュンギによって設立されたUAは、今まで数百人の野球審判を育成し、社会人野球の成長を支えて来た。
チョ・ウンヒョン記者 yesbro@donga.com






