「独立運動の元勲(国のために大きな功績を残した人物)を殺害した統義府を呪い、反軍の罪を広く知らしめる」
これは、1924年10月4日付(第177号)独立新聞の1面記事の副題だ。大韓民国臨時政府・参議府の中核的人物だった蔡燦(チェ・チャン)が統義府の構成員により殺害された事件を取り扱い、統義府を厳しく批判した記事だ。当時の独立新聞には、故人に対する李始栄(イ・シヨン)の弔辞や略歴、訃報、追悼の詩などが掲載された。統義府はこれに対し、独立新聞の購読禁止決定で応酬した。殺害事件報道のあおりを受け、金承学(キム・スンハク)は独立新聞の社長職を退いた。
第177号の記事は、最近大韓民国歴史博物館により新しく発見された、独立新聞の5件のうち一つだ。1919年8月に創刊号(写真)を発刊した独立新聞は上海臨時政府の機関紙で、徐載弼(ソ・ジェピル)が1896年に創刊した独立新聞とは異なる。博物館側は今回、「独立新聞影印本」(全3巻)を新しく発刊した。未公開資料は、収集過程で仁寺洞(インサドン)の古書店などを通じて入手したものだ。
新刊の影印本には、上海臨時政府で1919年8月から1926年11月まで発行された新聞を含め、計194件が収録された。未公開の5件は、1924年から1926年の間に発行された第177~180号と第195号だ。
未公開資料には、臨時政府に財政支援を行っていた参議府と統義府間の葛藤や新聞社経営陣の交代、欧米委員部の葛藤など、臨時政府に関する歴史記録が残されている。
김상운 キム・サンウン記者 기자sukim@donga.com






