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辺陽浩氏の報われない牢獄暮らし

Posted June. 25, 2013 08:53,   

2005年1月、財政経済部・金融情報分析院(FIU)の辺陽浩(ピョン・ヤンホ)院長(59)は私募ファンドを作るとして辞表を投げつけ、世間を驚かせた。いつかは長官に上り詰めると、多くの人が信じていたため、商売人への転身宣言は話題を呼んだ。京畿(キョンギ)高とソウル大商学部を出て、上級公務員試験の行政考試に首席で合格。そして、財政経済部の花と呼ばれる金融政策局長に最長となる2年10ヵ月在職するなど、華やかなキャリアも、世間の注目を集めた理由の一つだった。

その辺氏が、それから1年半後の2006年6月12日の朝、出社するところで検察に緊急逮捕された。現代(ヒョンデ)自動車から2億ウォンを受け取った容疑だった。もらっていないからすぐ釈放されると信じていたが、辺氏の予想は見事に外れた。292日の拘置所暮らしをした。法廷には142回立った。令状実質審査は3回、裁判所の判決は11回受けた。1審のソウル中央地裁では無罪(2007年1月)、2審のソウル高裁では有罪(2008年8月)、3審の最高裁では無罪(2009年1月)。どんでん返しが続くドラマだった。高官の収賄事件は、カネを渡したと言う供述さえあれば拘束捜査が慣行だという。金品を受け取っていないことを被疑者が証明しなければならない。それも、大変不利な監獄の中でだ。

収賄事件で取り調べを受けている間、検察は外換(ウェファン)銀行を外国資本のローンスターに捨て値で売却した容疑で、辺氏を再度拘束起訴した。いわゆる「別件捜査」というものだ。本件捜査とは関係なく、周辺の不正を洗い出して被疑者を追い込む「汚い」捜査手法だ。だが、1審から2審、3審まで、全部無罪だった。最高検中央捜査部の空振りだった。裁判が終わった2010年10月14日から4年4ヵ月の間、牢獄を出入りしながら、辺氏の人生は終わりなきどん底に落ちた。平和だった家庭も、CEOを失った会社も揺れた。

辺氏が、報われない牢暮らしの過程を生々しく記録した本を、最近出した。「辺陽浩シンドローム−緊急逮捕で出会った神様」(ホンソン社)だ。検察の不当な捜査で悔しい思いをする人が出ないことを願って書いたという。裁判の最中だった2008年、草稿を出版社に預けたが、検察に流れたため、曲折の末、5年が経ってようやく日の目を見るようになった。

辺氏は、悔しさの余り牢獄の中で泣いて、また泣いたという。人間が、どれだけ弱い存在なのかを、身にしみて感じた。一人娘のウンスさんが、涙で祈祷しながら父親を救おうとしていた努力は涙ぐましい。獄中で出会った神様と信仰について、多くのページを割愛した。「罪がないのに牢獄暮らしをさせられる凄まじい苦痛を受けたが、今の方がずっと幸せだ。検察も許した。自分に賄賂を与えたと話していた彼のことを許した。特別な恩恵を受けた。苦痛が祝福だった」。

草稿よりは検察非難は減ったが、誰にもけん制されることのない絶大な権限を持つ検察と、検察の起訴独占主義、起訴裁量主義の弊害、陳述だけに頼る公職者賄賂事件捜査の問題点も指摘した。「量刑を軽くして罰金を安くしてあげるから、もっと強い人の名前を出せ」という検察官の懐柔は、権力者を牢にぶち込むために被疑者と駆け引きをする韓国検察の素顔そのものだ。欲しい話が出てこないと、時を選ばずに検事室に呼んで怒鳴りつける検察官、取りあえず身柄拘束をしてから始まる慣行、協調しないと追起訴する脅す検察官の姿が生々しい。

過酷な捜査をしていた当時の朴英洙(パク・ヨンス)最高検中央捜査部長は引退した。朴氏の下で捜査企画官をしていた蔡東旭(チェ・ドンウク)氏は、現在検察総長をしている。無罪となった辺氏に、国は何の賠償をしなかった。賄賂を与えたと嘘の陳述をした元アンゴン会計法人代表のキム・ドンフン氏を相手取った損害賠償請求訴訟は、裁判所が棄却した。

検察との悪縁で、数々の辛酸を嘗めながらも、すべてのことを許すという辺氏は、実にバカみたいだ。最近流行っている天下りの一度も経験がない元財務官僚、前官礼遇の入り口にも立ったことのない辺氏が書いた本を、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が今夏に是非一読を勧める。財務官僚や検察官は言うまでもない。