「閣下(全斗煥元大統領)は1987年6月、デモ隊が釜山(プサン)の街を埋めつくすと、軍を投入して鎮圧するよう命令しました。国が大混乱になるかもしれない決定でした」
民主化への国民の熱望が絶頂に達した1987年6月の民主抗争当時、警察幹部だった権福慶(クォン・ボクキョン)元治安本部長(82)は、5月29日の東亜(トンア)日報とのインタビューでこのように明らかにした。権氏は6月民主抗争26周年を迎え、当時全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領がデモの現場に軍を出動させ、民主化勢力の「砦」だったソウル明洞(ミョンドン)聖堂に警官を投入して一網打尽にするよう命じた一触即発の状況を詳細に打ち明けた。
「6月19日、国家安全企画部の宮井洞(クンジョンドン)安家(安全家屋:秘密施設)で会議があるというので行ってみると、会議前にすでに釜山に軍を投入することが決定された状態だった。しかし、会議直前に閣下から電話がかかってきた。『国内の状況はどうか』と尋ね、『釜山が少し深刻だが警察が責任をとって阻止する』と言った。すると閣下が『そうか。分かった』と言って出動命令を突然留保した。数分後、安賢泰(アン・ヒョンテ)警護室長が『今日の会議はなかったことにせよ』という閣下の指示を伝えた」
——そのような重大な決定をなぜ簡単に変えたのだろうか。
「少々不思議だったが、幸いだと思った。閣下が別の参謀から『警察ではデモを阻止するのに限界がある』という報告を受け、軍の出動命令を下したが、警察の意見を後で聞いて決定を変えたようだ。当時、陸軍によると、すでにその時間には議政府(ウィジョンブ)第26師団の兵力が釜山行きの列車に乗るためにトラックで議政府駅に移動していたという。軍の出動が取り消しになると、会議に来ていた盧泰愚(ノ・テウ)民正党代表は私の手を握って『警察の力で阻止することにしたのはよかった』と感謝した」
権氏は、全大統領が明洞聖堂への警察力の投入を命じたと打ち明けた。
「6月14日の朝だった。閣下が家に電話をかけてきて、『明洞聖堂に学生がデモをしているだろ?警察力を投入して鎮圧せよ』と指示した。私は驚いて『閣下、明洞聖堂に入ってはいけません』と引き止めた。閣下は再び『なぜ入れない。鎮圧せよ』と命じた。6月民主抗争当時、明洞聖堂は『デモ隊の心臓』のような所だった。そこを鎮圧をするには、デモ隊が隠れていそうな司祭室や修道女室までみな壊さなければならない。金壽煥(キム・スファン)枢機卿は警察の突入計画を伝え聞き、『聖堂に入るなら私を踏んでから行け』と反対したと聞いた」
——命令に従ったのか。
「それはできなかった。政権が危うくなることだった。閣下の兄である全基煥(チョン・ギファン)氏と普段親交があり、明洞聖堂に警察を投入できない理由を閣下に説明してほしいと頼んだ。翌日、大統領府の会議に行ったところ、閣下が突然、『この中に安易主義がいる』と言い、参謀たちが緊張した。そして『明洞聖堂を警察力で鎮圧することは取り消せ』と言った」
権氏は、6月民主抗争直後に急増した労使紛糾に対処した時の秘話も話した。
「同じ年の9月頃、蔚山(ウルサン)で現代(ヒョンデ)重工業の工場占拠デモが長期間続いた。一度、鄭周永(チョン・ジュヨン)会長が電話をかけてきた。『工場の中に中心勢力がいるので、警察が入って捕まえてほしい』ということだった。工場には危険な装備が多く、『会長が対話でまず解決してみてください』と電話を切ったが、数時間後にまたかかってきた。『労働者の要求条件を受け入れることは到底不可能なので助けてほしい』と言った。最終的には鎮圧作戦は成功し、少し経って当時李明博(イ・ミョンバク)現代建設社長が戦闘警察への慰問金として5000万ウォンを持って訪ねてきた」






