餓死寸前の黒人少女を鋭い目で狙っている1羽のハゲワシ。南アフリカ共和国のカメラマン、ケビン・カーターは、1993年、スーダン住民の飢餓実態を取材していた時に、1人の少女が救護所まで歩く力がなくうずくまっている姿と、少女を餌にしようと狙っているハゲワシをシャッターにおさめた。世界的な反響を呼んだこの写真は、同年ピューリッツァー賞を受賞した。カーターは絶賛を受けたが、「ハゲワシに食べられるかも知れない少女をなぜ助けなかったのか」という非難に苦しみ、3ヵ月後に自殺した。
◆3日、米ニューヨークの地下鉄で、黒人ホームレスに押されて線路に落ち、入ってきた列車にひかれて死亡した在米韓国人、ハン・ギソク氏(58)の悲劇的な死を受け、同様の論議が起こっている。扇情的な報道で有名なタブロイド紙、ニューヨークポストは4日付の1面に、「線路に押されて落ちた男に死が迫る」というタイトルと共に、ハン氏が入ってくる列車を見ている写真を掲載した。写真を撮った人は、フリーカメラマンのウマル・アッパシ氏で、彼は「近くいた人が彼を引き上げることができたが、誰もそうせず、衝撃を受けた」とNBCテレビのインタビューで話した。
◆アッパシ氏自身にも、「なぜハン氏を助けなかったのか」という非難が起こると、「ハン氏を引き上げるには遠くにいた。その代わりにカメラのフラッシュをたき、停止信号を送ろうと考えた」と苦しい説明をした。ニューヨークタイムズは、「地下鉄死亡事件のその後、その場に英雄はいなかったのか」という記事で、今回の事件に対する怒りとともに、自省の声が上がっていると報じた。ハリウッド映画ならバットマンのようなスーパーヒーローが現れ、ハン氏を助けただろうが、現実にはそのようなことは起こらなかった。ハン氏はホームレスを制止しようとして被害に遭ったが、市民は救助するどころか携帯電話を取り出した。
◆都市は見知らぬ人と暮らしていく空間だ。見ず知らずの人のことに関与して、ひどい目にあうかもしれないという意識が潜在的にある。だとしても、市民が携帯電話やカメラを取り出す時間の余裕があったなら、ハン氏を助けることができた。自分の家族があのような死に方をしたらどんな思いだろうか。高い市民意識を誇り、英雄に熱狂する米国人はどこに行ってしまったのか。非情な都市とイエロー・ジャーナリズムの弊害を考えさせる苦々しい事件だ。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com






