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[オピニオン]理判事判

Posted May. 17, 2012 08:22,   

「理判事判」とは、仏教の華厳経の出てくる言葉だ。華厳経では、世界を「理」と「事」との2次元に分けて説明している。「理判」とは、目に見えない世界に対する判断であり、「事判」とは、目に見える世界に対する判断だ。欧米哲学の本質や現象、儒教・性理学の「理気」と同様の概念象ともいえる。華厳経では、「理と事とは二つではない」と主張し、「円融」の世界観を繰り広げている。

◆理判事判が、切羽詰った状況におかれるという意味になったのは、朝鮮時代に入ってからだ。「抑佛崇儒」政策を受け、賤民に転落した僧侶らが生きる道は、山奥で隠居したり、役所が必要とする雑役に従事する方法しかなかった。山奥で修業を続けた僧侶は理判僧と、紙を作って供給したり、山城を築造して守ることで、生き延びた僧侶を事判僧と呼ばれた。しかし、理判僧であれ事判僧であれ、当時、僧侶になることは人生の終わりを意味し、理判事判は、同様の意味で定着した。

◆曹溪宗(チョゲジョン)から追い出された元僧侶が、曹溪宗の元住職のテジン僧侶など、僧侶8人の賭博動画を暴露したのに続き、「もはや、理判事判だ」とでもいわんとするかのように、現総務院長のジャスン僧侶や奉恩寺(ボンウンサ)元住職のミョンジン僧侶などが、01年、ソウル江南(カンナム)の最高級飲み屋(バー)である「シンドバッド」を出入りしたと暴露した。シンドバッド事件は、仏教会ではすでに10年前から、知る人ぞ知る事実だった。ミョンジン僧侶自らも認めている。ただ、酒を飲んだ後、女性従業員らとベッドを共にしたかは、確認されていない。しかし、僧侶たちが、飲み屋で僧衣をつけたまま、女性従業員らと17年産バレンタインウイスキー3本を空けたという、当時の目撃者らの証言だけでも、部外者らには衝撃を与えている。

◆現代では、理判僧とは、禅室で修業する修行僧、事判僧とは、お寺を切り盛りする住職などの行政僧を意味する。上辺では、理判僧を事判僧より、より高貴に祭り上げるかように見受けられるが、その実、事判僧のほうが甘い汁を吸い取っているお寺の方が多い。僧侶の賭博シーンが盗撮され、流されたのも、白羊寺(ベクヤンサ)の住職ポストを巡る派閥争いが原因だという。しかし、理判僧と事判僧の道が、元々別にあるわけではない。優れた理判僧のみ、優れた事判僧になりうる。修業を積まず、お寺の切り盛りだけをやっている僧侶らが、信者らのお布施を大事にせず、賭博をしたり、飲み屋に出入りしたのではないか、反省すべきだ。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com.