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1948年それとも1919年? 政府樹立日めぐり政府と光復会が軋轢

1948年それとも1919年? 政府樹立日めぐり政府と光復会が軋轢

Posted January. 26, 2010 09:27,   

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大韓民国建国時期に関する歴史認識と政府と光復会が再び摩擦を起こしている。

独立有功者と遺族たちで組織された光復会(金永逸会長)は25日、ソウル永登浦区にある光復会館で記者会見を開き、文化体育観光部が推進している「大韓民国歴史博物館」建設計画の撤回を求める内容の声明を発表した。大韓民国歴史博物館建立委員会が1948年を大韓民国樹立に定義した記念館建立基本計画を28日の会議で議決することが伝えられたからだ。

光復会側は、声明で「歴史博物館の建立は、3・1独立運動に勢いづけられて1919年に樹立した大韓民国臨時政府を認めないで、1948年の政府樹立に参加した親日勢力に手柄を譲ることで、民族史的な正統性の深刻な毀損だ。関連省庁では1948年8月15日に対する歴史的な性格を明確に表明するべきだ」と迫った。

光復会は、「われわれ内部の正しい歴史観が樹立する前に性急に推進する『日王の訪韓』に対しても断固として反対している。現政府の間違った歴史観が正されるまで、政府主催の3・1節や光復節の記念式典などに参加しないだろう」と明らかにした。

大韓民国歴史博物館建立推進団のカン・テソ企画課長は、「光復会で指摘した政府樹立日の問題は、

15日に開かれた展示分科委員会で提起されたことだ。28日までに意見を収集しており、まだ委員会レベルで確定したことは何もない」と話した。

政府と光復会間の軋轢は今回が初めてではない。08年8月には、1948年の政府樹立日を建国節に制定しようとする政府の動き対して、光復会が臨時政府の正統性を否定しているとして反発した経緯がある。同年12月、文化部の広報用冊子には「民主主義の実質的な出発点は1948年8月の大韓民国建国とみるべきだ」という表現が記されると、光復会が勲章返上を決議して反発し、柳仁村(ユ・インチョン)文化部長官がお詫びする騒ぎとなった。

光復会は28日、ソウル鍾路区世宗路(チョンノグ・セジョンロ)の文化部庁舎前で建立撤回のための糾弾大会を開く予定だ。



teller@donga.com