米アニメ制作者のウォルト・ディズニーは、幼い2人の娘とともに、テーマパークに遊びに行き、ディズニーランドのアイデアを得た。彼は資金集めのため、1953年、カリフォルニア州アナハイムに建設予定のテーマパークのイメージ図を手に、ニューヨークへ向かった。CBSとNBC放送局から断られたものの、ABCとの合弁で、1955年、ディズニーランドという世界初のテーマパークをオープンさせた。1959年、米国を訪問したソ連のニキータ・フルシチョフ共産党書記長は、ディズニーランドへの訪問を希望したが、米国務省は身の安全を理由に日程には入れなかった。ディズニーランドは、米国を代表するシンボルの一つとなった。
◆米ディズニーランドがオープンしてから10数年後、韓国でも同様の夢を見た人がいた。禿山の多かった1960年代、三星(サムスン)グループの李秉迵(イ・ビョンチョル)創業者は、自然を計画的に開発したいという思いで、龍仁(ヨンイン)周辺の土地450万坪を買い入れた。最高の苗木を持ち込み、試験栽培を行い、豚の品種改良に向け研究院や畜舎も建設した。土地への投機だという批判にも屈しなかった。このようにして出来上がった韓国初のテーマパークが、龍仁自然農園(現在のエバーランド)であり、李会長の執念の賜物である。今日、中国を始め、外国人観光客が好んで訪れるスポットとなっている。
◆米国でディズニーランドと共に2大柱のグローバルテーマパークであるユニバーサルスタジオの「韓国版」が、京畿道華城(キョンギド・ファソン)に建設される。映画「ジュラシックパーク」を素材にしたアトラクションやウォーターパーク、ゴルフ場、ショッピング施設が建設される予定だ。米ロサンゼルスとオーランド、日本大阪、シンガポールに次ぐ、世界で5番目に建設される華城ユニバーサルスタジオには、約3兆ウォンの資金がつぎ込まれる。「韓国を代表するテーマパーク」が目標だ。
◆華城ユニバーサルスタジオの建設が、確定されるまで紆余曲折も多かった。建設予定地である華城郡松山面(ソンサンミョン)周辺は1994年、始華(シファ)湖の完成でできた干潟の一部である。環境団体の反対があり、開発計画がしばらく漂流した。金文洙(キム・ムンス)京畿道知事が、根気強く、テーマパークへと繋がる電車の乗り入れや道路建設を推進し、国内企業各社の投資を引き出さなかったら、白紙にされたかもしれない。オープンすることになれば、国内外から観光客が訪れ、旅行業や宿泊業など地元関連産業の活性化や雇用創出効果も期待できる。地方自治体と企業との貴重な合作品である。
朴永均(パク・ヨンギュン)論説委員 parkyk@donga.com