世宗(セジョン、朝鮮時代4代目の王様)が即位した1418年、朝鮮は「7年間の大干ばつ」に入る。22歳の若い王は、今の世宗路(セジョンロ)の十字路に釜をかけ、粥を炊いて配った。ある日から、慶会桜(キョンフェル)の東側に草庵を建ててそこで暮らした。王妃や臣下らが「寝殿にお入りください」と訴えても、「民が飢えているのに、楽に寝るわけにはいかない」と答えた。
◆世宗の一生は苦痛と隣り合わせだった。在位中、親、叔父、妻、娘を失い、脚気や皮膚病などで身動きが取れない時もあった。訓民正音を発表した頃は、糖尿の合併症で視力をほとんど失い、2メートル先の人も見分けられなかったという。臣下らが「黒い山羊を煮込んで召し上がるように」と勧めたが、「王の病気を治すために、他の国からきた動物の種を絶やすわけにはいかない」と断った。1980年代のドラマ「朝鮮王朝500年」と映画「世宗大王(1978)」の作家、シン・ボンスン氏は、「聖君を越して聖者」と言い、「世宗をさておいて、遠い外国からリーダーシップのモデルを探すのは情けないことだ」と指摘する。
◆「世宗の守成リーダーシップ」「世宗、朝鮮の標準を立てる」「朝鮮の政治家9人が見た世宗」「創造のCEO、世宗」などに続き、最近、「私は朝鮮だ」「王の戦い」など世宗を扱った書籍が出た。テレビ時代劇の「大王、世宗(KBS1)」も来年1月5日、初放映される。世宗は偉大な指導者だったが、32年の在位期間中、「スキャンダル」がなかったためか、時代劇の主人公として再登場するのは約30年ぶりのことだ。
◆世宗の復活は、彼のリーダーシップがこの時代に再現されることを望む大衆心理を反映したものと見られる。世宗のリーダーシップ、その中核は「真の愛民」だ。ハングルの創製も、官奴出身の蒋英実(チャン・ヨンシル)を破格登用し、自撃漏(ジャギョクル、時計)を作らせたのも、収穫量を2倍に増やした間種法を普及させたのも、昼夜を問わず、民のことを心配した結果だ。「民愛」は病魔と、妻や子に先立たれる苦痛に耐えながら学問にまい進し、仕事と能力を中心に人材を登用する原動力だった。今後、大韓民国の指導者らは海外のリーダーシップモデルをベンチマークする前に、世宗のリーダーシップの1つでもまともに理解し、見本にすべきだ。世宗実録の中に答えがある。
許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com






