「38度線を枕に倒れようとも…」。1948年3月、白凡・金九(ぺクポム、キム・グ)先生はこのような言葉を残して、平壌(ピョンヤン)行きを決行する。金日成(キム・イルソン)がいる「南北諸政党社会団体連席会議」に出席し、統一政府樹立案を協議するためだ。ソウルに戻った白凡は、「平壌政府は、絶対に北朝鮮に単独政府を樹立せず、韓国に電力を供給し続けることで合意した」と発表した。白凡の人気は高まった。
◆それも当然だった。統一政府も重要だが、当時、韓半島の電力の90%は北朝鮮にあり、人口の3分の2は韓国に暮らしていた。北朝鮮に単独政府が樹立して、電力供給が途絶えれば、韓国は暗黒天地になる状況だった。今日の北朝鮮のように…。しかし、白凡帰還後2週間も経たず、北朝鮮は供給を断った。韓国側住民の安堵は絶望と怒りに変わった。白凡の理想は熱かったが、金日成に利用されただけだった。
◆それでも白凡は純粋だった。今、民主労働党で行われている「コリア連邦共和国」騒動はコメディと言わざるをえない。白凡の姿とともに「1948年、私はその年を忘れることができない。私の体の半分を失ったあの日…私の名前は韓半島」で始まる広報動画の感傷的なムードは、あまりにも稚拙で乳臭くもある。権永吉(クォン・ヨンギル)候補はこのスローガンに反対したという。結局、問題の公約を削除して選挙ポスターを撮り直したが、まだ党内では民族解放系(NL)と民衆民主系(PD)勢力がこの問題をめぐって「1980年代式宗派争い」をしている。
◆コリア連邦共和国のコリアを高麗(コリョ)に変えれば、基本構想は金日成の高麗連邦制と大きく変わらない。最高連邦会議もそうであり、「10大指針」という下位構造も似ている。このような時代錯誤的社会運動政党にも、20億ウォン以上の補助金が与えられる。むろん、国民の税金である。民主労働党内の進歩政治研究所長でさえ「コリア連邦共和国を国家ビジョンにすれば、私は選挙運動できないだろう」と言ったほどだ。
金昌爀(キム・チャンヒョク)論説委員 chang@donga.com






