Go to contents

「バスケットボールとも結婚…元祖『お姉さん部隊』でした」

「バスケットボールとも結婚…元祖『お姉さん部隊』でした」

Posted March. 09, 2007 05:41,   

●1979年世界選手権準優勝の主役

100年近い韓国女子バスケットボール史で、「1979年」は記念碑的な年だ。その年の4月、第8回世界選手権大会が、完成したばかりのソウル蚕室(チャムシル)体育館(現在の蚕室室内体育館)で開かれ、韓国女子バスケットボール代表チームは、観覧席が埋め尽くされたなか、世界最強の米国を94−82で破った。

ポイントガード兼リーダーだったカン・ヒョンスクがコンピューターみたいに正確にボールを飛ばし、167cmの短身シューテングガードであるチョン・ミラが、外郭から中長距離シュートで相手チームを攻略した。中央には、当代アジア最高のセンター、朴チャンスクがいた。

韓国は5勝1敗で米国と勝敗は同じだったが、ゴール得失でリードされ、準優勝にとどまった。身長と体格で西欧チームとは比べ物にもならなかったことを考えれば、驚くべきな成績だった。最高センター朴シンジャの率いる1960年代が、韓国女子バスケットボールの第一期黄金時代だったなら、これは第二の黄金時代だった。

それから28年が過ぎた今、当時の主役3人は相変らず女子バスケットボール界を守り続けながら、旺盛に活動している。

カン・ヒョンスク(52)は大韓バスケットボール協会理事兼韓国女子バスケットボール連盟(WKBL)競技監督官、チョン・ミラ(51)はMBC解説委員、朴チャンスク(48)はWKBL(競技委員)TC。

7日、女子プロバスケットボールの新韓(シンハン)銀行と錦湖(クムホ)生命の競技を控え、ソウル奨忠(チャンチュン)体育館に集まった彼女たちは、家族みたいな暖かい雰囲気の中で話に花を咲かせた。彼女たちと世代の違う記者(36)には、白黒写真の中にだけ存在した「歴史」が、カラー映画のように生き生きと蘇る感じだった。

●男性ファンが群集し、出て行くのもたいへん

「当時は、女子バスケットボールの人気が本当にすごかったのです。私たちがまさに、『お兄さん部隊、お姉さん部隊』の元祖でした。競技が終わると、私たちに会うため、男性ファンが出入口の前に陣を張っているから、くぐって出るのもたいへんでした」(チョン)。「当時は、選手たちがとてもきれいだったんです。実力もあったし。実業団チームも12、13あり、選手層も厚かったんです」(カン)。

なるほど3人とも、皆変わらぬ美貌を誇っていた。続いて、お互いに対する褒め言葉が続いた。

「ミラは背は低かったけど、自分の能力の120%を発揮しました。本当にすばやくて、体力もありました…」(カン)。「私は無名時代が長かった反面、ヒョンスク先輩やチャンスクは選手時代、始終スターでした」(チョン)。「二人の先輩がいなかったら、今の自分は考えられません」(朴)。

カン理事が国家代表チームから1980年、一番先に引退し、チョン委員が1982年、朴理事が1984年、米ロサンゼルス五輪で銀メダルを取った後、引退した。

歳月が流れ、彼女たちは結婚し、子供たちも成長したが、バスケットボールに対する熱情は変わらなかった。チョン委員の言葉通り、「バスケットボールと結婚」し、「バスケットボールのコートが遊び場」であるわけだ。

●2部リーグの導入が必要…女性監督も出るべき

対話は、「どうすれば低迷している女子バスケットボールをよみがえらすことができるか」に移った。女子プロバスケットボールチームは六つなのに、平均観衆は1000人あまりに過ぎないのが最近の現状。

「まず、チームが少なすぎます。スタープレイヤーが引き続き出てくれなければならないのに、選手層は薄くなるばかりで…」(カン)。「球団の2陣級が実戦経験どころが、早期引退することも問題です。2部リーグみたいな下部リーグシステムが必要です」(チョン)。「プロ球団に女性監督がいないことも問題です。男性がましだと言いますが、女性に任せたこともないんですね。男たちの既得権のため、私たちが自ら体験したノーハウが死蔵されてしまっているのです」(朴)。

バスケットボールの話なら徹夜でもしそうな雰囲気だ。了解を得、写真撮影をした。ボールと一緒のポーズを頼むと、チョン委員は、「前もって言ってくれたなら、運動服を着て競技する姿をみせてあげたのに」と話した。朴理事は子供みたいな顔でコートを走り回り、カン理事はリーダーらしく威厳が感じられた。



kimsk@donga.com