「あちこちから電話が来て…。ちょっと面くらいますね」
朝鮮(チョソン)大学バスケットボール部のイム・ダルシク監督(43・写真)は1日、プロバスケットボール新人ドラフトが終わった後、祝いの挨拶をうけるのに忙しかった。朝鮮大学のナム・ジョンス選手とチェ・コボン選手がそれぞれKTFとモビスから指名され、夢にも描いたプロのユニホームを着ることになったからだ。朝鮮大学出身者のプロバスケットボール選手が史上初めて誕生したのだ。
「たいへんな中でも、皆一生懸命練習してきたおかげです。」
●許載選手と喧嘩して、コート離れて9年間
謙遜気味に話したが、プロ選手を輩出できたのは誰よりもイム監督の功労が大きかった。
イム監督はフィムン高と高麗(コリョ)大額を経て、現代(ヒョンデ)でプレーするなど、エリートコースを踏んできたスター出身の監督だ。
しかし、今や思い浮かばせたくもない1989年のバスケットボール大会決勝で、起亜(キア)の許載(ホ・ジェ)選手と喧嘩をしたために1年資格停止を受け、さまよったあげく1992年に引退した。その後、ゴルフに耽って、韓国プロゴルフ協会(KPGA)の正式セミプロ・ライセンスまで取った。ベストスコアは68打。1997年から2年以上、ソウル江南(カンナム)で有名韓定食レストランを経営した。
下野して10年近く過ごしていたイム監督は、大学の恩師だった朴ハン・大学バスケットボール連盟会長の勧誘で01年に朝鮮大学の監督に赴任した。当時、大学バスケットボール2部リーグだった朝鮮大学は、バスケットボールチームだというのが恥ずかしいくらい最悪の環境だった。チーム内にバスケットボールが3つしかないくらいだった。
何の縁故もない光州(クァンジュ)に赴任したイム監督はまず、劣悪な環境の中でも、選手たちの敗北意識をなくすのに専念した。「チーム内で試合をしても、勝った方には褒美をあげ、負けた方はムチ打ちました。根性をたたき直そうとしたのです。」
●01年チームに赴任し、3年で2部リーグ優勝
イム監督の指導の下で、チームらしい姿を取り揃えて行った朝鮮大学は04年、バスケットボール大会2部リーグで優勝し、その翌年は1部リーグに昇格した。監督になってからは楽しんでいたゴルフも遠ざけた彼は04年には、2部リーグ指導者としては初めて、代表チーム・コーチに抜擢された。他のチームがスカウト作業が終わった後、残った選手で戦力を補強しなければならない状況で、有望選手たちの潜在力を育てて行った。
「プロに行っただけで終わったのではありません。よく適応し、後輩たちに良いモデルにならなければならないでしょう。」
イム監督の弟子への心配は、きりがなかった。
kjs0123@donga.com






