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「韓国、歓迎」独紙1面にハングル文字

Posted June. 19, 2006 03:02,   

サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会の12の開催地の中で、唯一、旧東ドイツの地域であるライプツィヒ。

バッハが眠り、ゲーテとニーチェが若い日々を過ごした美しい古都ライプツィヒに、赤い波がうねる。

欧州最大の駅であるライプツィヒ中央駅を降りると、あちこちに「韓国を歓迎します」という赤い立看板が目に入る。電車の外面一面には、太極旗(テグクキ・韓国国旗)とサッカー韓国代表チームのサポーター「レッド・デビルズ」が描かれている。

中央駅から歩いて5分の市内のど真ん中にあるアウグスト広場では、数千人のドイツ人が、赤い服を着た韓国応援団とともに、サムルノリやテコンドー、扇子の舞いの公演を鑑賞している。

地元有力紙『ライプチガー・フォルクスツァイトゥング』は週末版で、紙面1面を韓国語で出した。1面には、太極旗とともに韓国語で「歓迎します」の文句が書かれた。

ライプツィヒが開催地になるために貢献したヴォルフガング・ティーフェンゼー元市長は、ドイツ連邦交通省長官に栄転したが、18日にプレスクラブを訪れ、「ライプツィヒとサッカー、ライプツィヒと韓国」について記者会見を開いた。ティーフェンゼー元市長は、困難だったW杯の準備過程を回想した。

「西ドイツに比べて不十分だったインフラのために、ライプツィヒは、W杯に備えて、都市全体を大工事しなければなりませんでした。数ヵ月前までは、市内のあちこちで電車の路線を整え、新しい施設を建てて道を整備したため、歩ける所がなかったほどです」。

東ドイツ地域の中で、ライプツィヒが唯一の開催地に選ばれたのは、サッカーとの長い縁があったからだ。1900年、ドイツサッカー協会(DFV)が、ここライプツィヒで初めて結成された。1903年の第1回ドイツ・カップで優勝したチームも、ライプツィヒだった。1956年に完成したツェントラルシュタディオンは、10万人も収容できるドイツ最大の競技場だ。今回のW杯のために、約4万4000席規模のサッカー専用スタジアムを競技場内に新たに建設した。

ライプツィヒ大学に留学する金ボヨン氏(27)は、「統一ドイツ後、旧東ドイツ市民たちは、疎外感と劣等感に苦しんできた。しかし、ライプツィヒの人々は、今回のW杯を通じて、プライドを取り戻している。観客を迎え入れることにも積極的だ」と話した。

ゲーテは、ライプツィヒの「アウアーバッハス・ケラー」という有名な酒場を背景に『ファウスト』を書いた。ライプツィヒは、フランス軍を率いた英雄ナポレオンが、プロイセン連合軍に歴史的に敗北した場所でもある。そして韓国は、まさにここで、「神話」の再演を準備している。



jaeyuna@donga.com