「胸がはらはらして競技場には行けませんでした。息子が昨日、家に電話をかけてきたんですが、とても気分がよさそうな声でした。『お母さん、うちのチームが勝利したよ』と言ったんですね。MVPに選ばれたことは一言も言いませんでした」
ABCテレビの「グッドモーニングアメリカ」に出演したハインズ・ウォードは、「MVP受賞はチーム全体に送られたものだと思う」と話した。そのように彼は母親の前でも遠慮して騒がなかった。
「子供の時から謙遜しながら自負心を持つように、と言い聞かせてきました。そのためか、早くから物心がついて、自立心が強かったですね」
2人の娘がある母子の片親家庭で育ち、早くから生活戦線に飛び込んだ金さんだった。在韓米軍相手のナイトクラブで会計の仕事をしていた25歳の時、5歳年下の米軍ハインズ・ウォード・シニアに出会った結婚し、米国の地を踏んだ。その後、不慣れな地で離婚し、苦労しながら生きてきた金さんのストーリーは、すでに米国でも知らない人が珍しくなった。
「1日に3種類の仕事をしたことも多かったです。フルタイムの職場に2種類のパートタイムの仕事…」。そのような母親の熱意は息子に受け継がれたと、02年、ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙は書いた。「3、4種類の職業を同時に持っていた母親のように、ウォードは、ランニングバック、クォーターバックなど2、3のポジションを巧みにやってのける」ということだった。
息子は母親から「涙」も受け継いだ。昨シーズン、アメリカン・フットボール・コンファレンス(AFC)チャンピオン決定戦で敗北した後、チーム仲間のジェロム・ベティスがフットボールをやめようとすると、涙で引き止めた。その涙はその後、ファンの間でずっと話題になった。そういう彼の目がいつも涙で濡れる瞬間がある。母親のことを語る時だ。
息子は母親のつましさも受け継いだ。昨年9月、4年間2850万ドル(約280億ウォン)という高額に今のピッツバーグ・スティーラーズと契約したが、息子は市場で買った3ドルのシャツを着続けて、「ブルーカラーのスポーツスター」と呼ばれた。
すでに米国最高のスターを息子に持った母親は貧しくない。苦労をしながら息子を育てる時も心だけは貧しくなかった。金さんは、「懸命に働いたおかげで、豊かではなかったが、だからと言って貧しくもなかった」と話した。それでも一週間に5回は近くの高校に出勤して、数時間ずつ食堂の仕事をしている。「十分働けるから休む理由なんかないです」。
気になることを一つ聞いてみた。ウォードの右腕に刻まれたハングルの名前、その下ににっこり笑っているミッキーマウスの絵がある。どうしてミッキーマウスなのか。「いくら大変でもミッキーマウスは笑っているから好きだそうです。他の選手と激しくぶつかってもウォードはいつも笑っているでしょう」。それから母親は一言加えた。「スーパーボウルMVPは、フロリダ・ディズニワールドの広告モデルになるんですって。ウォードがきっと喜ぶでしょうね」。
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