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「私の辞書に休止符はない」

Posted November. 23, 2005 08:15,   

한국어

「ただ単にオートバイのスピード感が好きでした。時速100キロの速さで走っても全身に快感が伝わります。おかげで終生、他の娯楽には目を向けずに済んだと思います」。

最近、米紙ワシントンポストが「成功した企業」として特筆で話題となっているオートバイヘルメット部門での世界シェアトップ企業のホンジンHJC、洪完基(ホン・ワンギ、65)会長の言葉だ。

71年に創業して以降、ヘルメットで世界市場を席捲した洪会長と21日、京畿道龍仁市二東面(キョンギド・ヨンインシ・イドンミョン)にある会社で会った。会長室に入ると、モダンな感じのオートバイヘルメットや青磁の花瓶などが、妙な調和を成していた。各種の賞とトロフィーもいくつか目についた。韓国を輝かせた経営者、中小企業の名誉の殿堂(ホール・オブ・フェ−ム)、スイス・ジュネーブ国際発明品大会の金賞…。

「一生懸命にお金を稼ぎました。働くのが遊ぶことより楽しかったからです」。たまたま韓国の花郎(ファラン)剣道協会の役員たちが尋ねてきて、洪会長がオートバイヘルメットの素材で開発中の、剣道の帽子を品評した。最近では風にあたるとライトアップされるヘルメットのアクセサリー「ウインドライト」も発明し、特許申請中だ。

忠清南道論山市(チュンチョンナムド・ノンサンシ)の中農の家で、7人兄弟の長男として生まれ、カンギョン商業高校を卒業した洪氏は、受け継いだ財産もなく完全に自力で成功した企業家だ。牛乳の配達と重労働などで学費を稼ぎ、漢陽(ハンヤン)大学工業経営学科(現在の産業工学科)で学んでいたが、お金を稼ぐために学業を中断した。70年に縫製工場を設け、オートバイに乗る人が着る革ズボンを作りはじめた。

その工場が、洪氏が翌年に設立したヘルメット内装材料メーカーのホンジン企業の母胎となった。74年にヘルメットを作りはじめて、86年に米市場に進出し、6年後の92年、米シェアの第1位に到達した。01年には世界シェアのトップも達成した。不幸なこともあった。末弟が10年前に、ロッキー山脈でヘルメットをテストする途中、事故でこの世を去った。いまは実弟3人が、それぞれ米国、中国、欧州の法人を受け持っている。

洪会長はソウル瑞草区(ソチョグ)瑞草洞の100坪型マンションで妻と2人きりで住んでいる。ワシントンポストの記者が先月自宅を取材した後「(洪会長は)ソウルの高級マンションに住んでいるが、米国の百万長者が満喫している豊饒とは程遠い」と書いたことについて、洪会長は「アメリカ人の目には、韓国の大型マンションが大したことのないものに思えたようだ」とし照れくさく笑った。

「通貨危機の当時に金持ちになりました。生産高の98%を輸出していたが、為替レートが上がったおかげで、かなり儲かったんですね。住宅を所有していない職員のために、龍仁市と城南市盆唐(ソンナムシ・ブンダン)に購入しておいた社宅も、価格が大幅に上昇しました。金持ちは計画してなるものではなく、仕事を熱心にしていれば、なるものだと思います」

洪会長は毎年100億ウォンを上回る純収益の大半を、研究開発(R&D)に再投資している。洪氏自身もヘルメット関連の特許をおよそ10個も持っている「発明王」だ。約30年間にわたってヘルメットを生産した同氏は、昨年5月に2大株主のオートバイメーカー、暁星(ヒョソン)機械の代表を兼任しることになった。

08年までに排気量1000cc級の大型オートバイを生産し、世界的なメーカーに育てたい、という抱負も持っている。また、低速で走ると補助輪が出てくるオートバイの開発にも乗り出している。

「金持ちになったからといって、食べもの、着るものに高級さを求めたりしません。厳しかった時代を思い出しながら、ジャージャー麺もよく食べていますよ。金持ちだからできるという良い点は、頭の中のアイデアを実際に実現できる点ですね」



kimsunmi@donga.com