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「白骨になっても韓国の自由を守護」

Posted April. 24, 2005 23:09,   

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スコットランドの伝統楽器であるバグパイプのリズムとともに、英国の参戦勇士の遺灰が入った壺の蓋を開けた。

死者の戦友は、350mの高地から壺に入っている遺灰を一握りずつまき、後ろに立っている白髪の参戦勇士たちは挙手の礼をして、風に乗って去って行く仲間の冥福を祈った。

遺体は風に乗って彼が守り抜いたこの地、大韓民国の隅々に散らばった。

24日午後、京畿道坡州市積城面(キョンギド・パジュシ・チョクソクミョン)クウプ里の重城山(ジュンソンサン)の高地で、韓国(6・25)戦争に参戦して、昨年3月に亡くなったスコット・ベインブリッジ(当時71歳、写真)氏の遺体を散骨する行事が行われた。

彼は1952年から翌年までの14ヶ月間、参戦して坡州一帯で中国軍と対峙して熾烈な戦闘を繰り広げた。遺体が撤かれた重城山の高地は、彼が中国軍の砲弾破片に当って血を流した所。

休戦交渉を控えて、中国軍の攻撃はさらに激しくなったが、ベインブリッジ氏は二等兵でありながらも落ち着いて敵と戦った、と仲間たちは話した。

ベインブリッジ氏は戦争が終わった後、2001年に初めて韓国を訪れて、目覚しく発展した韓国の姿に大きな感銘を受けており、このとき、自分が亡くなったら韓国に遺灰を撤いてもらいたいという遺言を残した。

彼は昨年3月、英国ニューカッスルで参戦勇士の集まりを終えて帰宅中に心臓麻痺を起こして死亡しており、約1年間保管されてきた彼の遺体が、他の参戦勇士80人余りと一緒に17日韓国を訪れた。

一方、彼の遺体が撤かれる前の同日午前11時からは、坡州市積城面ソルマ里の英国軍参戦記念碑の前で、数万人の中国軍を迎えて、4日間高地を守りぬいた英国軍大隊を追悼する行事が開かれた。

英国、カナダ、ニュージーランドなど英連邦各国の参戦勇士100人余りと彼らの遺族及び家族など100人余り、ウォリック・モリス在韓英国大使が参加した。また、92歳の参戦勇士ロバート・ヘリントン中佐(当時)も参加した。

毎年今頃、英連邦参戦国の勇士たちは坡州、加平(ガピョン)等の英連邦国家の参戦碑を訪れ、当時のことをを振り返ったりする。

英国女王のエリザベス2世はモリス大使が代読した記念の辞を通じて、「韓国の自由を守るために参戦した勇士たちが、また激戦地を訪れることは非常に意味深いこと」とし「英国国民と共に、参戦勇士たちを永遠に記憶する」と伝えた。

参戦勇士らは同日、積城総合高等学校など坡州地元の中・高校の生徒72人に25万ウォンずつの奨学金を渡した。

しかし、同日の行事に韓国側人士としては、国連韓国参戦国協会の池甲鍾(ジ・ガプジョン)会長と在郷軍人会の幹部たち、孫鶴圭(ソン・ハクギュ)京畿道知事、国連軍総司令部と地域師団の将軍4人が参加しただけだった。



argus@donga.com