Go to contents

[社説]北京五輪はすでに始まった

Posted August. 30, 2004 22:37,   

よくやってくれた。女子ハンドボール選手の最後の闘魂が見せてくれたように選手たちはみんな最善を尽くした。これほどの国力で総合順位9位を占めたのは本当に凄いことだ。自分の役割を全うできずにいる政治、底の見えない経済の中で、黙々と汗を流した結果だ。私たちみんなは選手たちに学ばなければならない。

だからと言って緊張の手綱を緩めてはいかない。08年北京五輪が待っている。メダルを何個さらに獲得するかも重要だが、五輪を通じて頭をもたげるはずの中華民族主義、覇権主義の前で、私たちは果たしてどうやって立ち向かうかをこれから悩まなければならない。競技でも勝って、外交・経済的でも決して侮られないように国の力と位相を育てなければならないのだ。

中国が北京五輪に寄せる期待は大きい。五輪に続いて10年上海世界博覧会まで行った後は国内総生産(GDP)2兆ドルで世界第1の経済大国になれると信じている。「今後30年間8〜10%の高度成長を成し遂げ、今世紀中盤には米国を凌駕する」という冗談まで取りざたされているところだ。日本と韓国が1964年東京五輪と1988年ソウル五輪を通じて国家発展を何段階繰り上げたのとは比べ物にならないほど野心に満ちている。

北京五輪は私たちにもチャンスなのかも知れない。3年前、北京の五輪招致が決定されたとき、産業資源部は「『北京特需』で私たちも8%以上の安定的な成長を持続するだろう」と予想した。しかし成長どころか、日増しに縮められている中国との技術格差のため、「北京特需」は享受できないまま、中国に追い越されてしまうかも知れないという憂慮も無視できなくなった。憂慮を機会に取り替えていかなければならない。

中国が五輪成功に向けて韓半島と台湾問題に融和的態度を示すだろうという見通しはせめてもの幸いだ。人権の是非で大会ボイコット話が出る可能性を憂慮してのことだそうだが、これをうまく活用して高句麗史問題の解決にも有利な足場を構築しなければならない。自分の歴史も守れないまま北京に行くわけにはいかないのだ。聖火は消えて世界は日常に戻ったが、北京五輪はもう始まった。