
全2巻、各巻274・282頁、9000ウォン、全鏡潾(チョン・ギョンリン)著
「女性として、黄眞伊(ファン・ジンイ)を新しく見ることができると思ったんです。」
どうして今になってまた黄眞伊かと聞くと、思いがけない返事が返ってきた。今年登壇10年目である作家全鏡潾(42)。全鏡潾が小説に形象化した「黄眞伊」は、信じようが信じまいが、女性作家の息づかいが加わった初の「黄眞伊」だ。
「黄眞伊に関する昔の諸文献を見ながら、男性の見方と敍述によって踏み躪られた部分が多いと感じたんです。ある面では悪意的に見えたんです。」
なぜ「彼ら」は黄眞伊の誘惑を拒否すれば、剛直な男と規定したのだろう。誘惑が、愛が悪いという規定そのものが、抑圧的なことではないのか…。
それで筋書も変えた。黄眞伊は知足(チゾク)禪師を誘惑しない。知足禪師がよく言う「自我発展」の末に破滅するだけだ。黄眞伊なんかに誘惑されないと大口を叩いていたが、溺れてしまったピョク・ゲスのエピソードも登場しない。
そのためだろうか。従来の「黄眞伊」テキストの主人公たちがたびたび挑発的で攻撃的な選択をすることに比べて、全鏡潾の「黃眞伊」には挑発的な選択がない。傲然さで「彼女の前では皆が自分を恥ずかしく思って卑屈にさせる」点は同じだが、それでも彼女の選択は自分のすべてを投げかける選択であって、切なくときには悲しく思われる。その悲しみの理由を作家は個人的レベルのことにしなかった。私たちのヒロインを悲しくするのは当時の現実が持つ巨大な抑圧構造だ。
「朝鮮(チョソン)時代に至って庶孼(貴族の庶出)の差別ができ、成宗(ソンジョン、朝鮮時代9代王)のときに『経国大典』が完成し、女性の生は閉じこめてしまった。権威という枠に社会を合わせていくと、女性など少数の幸せと権利は無視されてしまうのではないでしょうか(?)。元々あらゆる「原理主義」がこうなのです。」
その悲しみを強調するために、作家は幼い黄眞伊の人生を、あっという間に那落の底に墜落させる。既存の黄眞伊は恋煩いで死んだチョンガーの霊が家の前を彷徨う日、自分の道を決める。一方、全鏡潾の黄眞伊は、貴族の箱入り娘に育てられ、「盲人妓女の娘」という生まれの秘密が知られて、身分制度の枠に閉じこめられてしまうことで「明月(ミョンウォル)」に生まれかわることになる。
新しい「黄眞伊」の一番熱烈なラブストーリーの相手が、「李サジョン」に設定された事実も目を引く。彼は黄眞伊と6年間契約同居をした人物で、解釈によっては「不真面目な男」に過ぎないかも知れない。それで、作家は黄眞伊と李サジョンの初出会いをもっと若い時代に持っていく。
庶孼の差別に捕らわれて世の中を悲観する李サジョンと黄眞伊が絶望的な愛に陥るようにした後、その愛を自分を落ち着かせた状態で、また現われるようにした。しかし、この時の愛は「契約」であるしかない。出世した朝鮮時代の男には正室と家族、制度と理念への迎合が必須だからだ。
「人間の長年の進化と比べると、500年前の女性は今日と違いません。」
作家は「人間世界では愛を実現するプライドが最も大きなもの」と力を込めて言った。作家自分の考えであり、黄眞伊の考えもこれと違わなかったはずだと。
「私と黄眞伊との類似点は現実を体でぶつかりながら生きていく人に信頼をおくこと、従来の制度と権威を認めないこと… 違う点はそれほど魅力的でないということ…。」
劉潤鐘 gustav@donga.com






