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[オピニオン]李基白先生

Posted June. 03, 2004 22:36,   

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「平安(ピョンアン)道の平民の家で生まれたことの他には別に自慢できるような才能を持っていない私は、一生をずっと勉強でもしながら生きていくことを望んでいた」。2日、享年80歳で亡くなった歴史学者の李基白(イ・ギベク)先生が10年前東亜日報の紙面に残した文章だ。光復後、韓国歴史学界の第1世代の先生は、生前30冊あまりの著書と編・訳書、160あまりの論文などを発表した歴史学界の巨木だ。大学にいながら、研究所以外の補職は一切引き受けず、歴史の大衆化にも多くの関心を注いだ鶴のような学者だった。

◆1980年代のある年の夏、お願いしていた原稿を頂くために先生のお宅を訪れたことがある。早朝だったにもかかわらず、麻の上着をきれいに着込んだ姿で迎えて下さった。お宅じゅうに活字の香りと書物の雰囲気が漂っていた。先生はお茶を勧めながら世間のことを心配された。原稿用紙の筆跡もまた先生のようにたおやかだった。弟子の弟子ぐらいにあたる若輩の記者に対して、始終尊敬語をお使いになり戸惑っていたことを覚えている。ものを書く人たちは、マンションの警備室に原稿を預けておくか、奥さんを介してドアの隙間から原稿を渡してくれた時代だった。

◆先生は従高祖父の南岡(ナムガン)李昇薫(イ・スンフン、1864〜1930)の教えを受け、申采浩(シン・チェホ)の「朝鮮史研究艸」と咸錫憲(ハム・ソクホン)の「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」を読んで深い感動を受け、歴史学徒の道に進んだ。その後、梨花(イファ)女子大学、西江(ソガン)大、翰林(ハルリム)大などで約40年間後学を指導し、特に西江大に22年間在職しながら全海宗(チョン・ヘジョン、東洋史)、キル・ヒョンモ、車河淳(チャ・ハスン、西洋史)教授と共に歴史学界で「西江学派」の全盛期を切り開いた。4回にわたって書き直した先生の「韓国史新論」は韓国人の歴史書であり、受験生と司法試験など国家試験受験生の必読書だった。

◆先生は史料によって実証されていない歴史は断じて排撃した。このため、解釈を重視する国粋的民族史学者たちから日帝の殖民史学を受け継いだとも非難されたが、動揺しなかった。「真理に逆らえば、民族も滅び、民衆も滅びる」というのが先生の持論だった。何年か前から病状が悪化すると先生は、「どうせ死ぬなら勉強をしていて死んだ方がましだ」として、最後まで執筆を止めなかったという。韓国史学は先生に大きな借りを作った。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com