第17代総選は、韓国政治史で初めて合法的かつ正当な方法で「与小野大」を「与大野小」に変えたという点で意味が大きい。これまで韓国は3回も「与小野大」を経験したが、すべて非正常的な方法を動員して、人為的に「野大与小」を覆した。李承晩(イ・スンマン)政府は、「与小野大」問題を非合法的な方法で、盧泰愚(ノ・テウ)、金大中(キム・デジュン)政府は合法的だが正当ではない方法で解決した。
◆最初の「与小野大」は1948年から52年の間に現われた。李承晩大統領は、親衛クーデターという非合法的な方法を動員して、この難関を突破した。李大統領は、戒厳令を宣布して軍隊を動員し、国会に脅威を与えて改憲して再選に成功し、国会も掌握した。これが「釜山政治波動」と「拔萃改憲]」である。1988年の第13代総選の結果も「与小野大」となった。盧泰愚大統領は、国会優位に耐えられず1990年に平民党を除く3党合同を通じて人為的にこの問題を解決した。3党合同そのものは不法ではなかった。しかし、密室で議院内閣制への改憲合意覚書をやりとりし行なわれたという点で、正当だと見ることは難しかった。
◆1998年に金大中政権が発足し、再び「与小野大」現象が現われた。金大中大統領は、議員を「貸し借り」という合法的だが正当ではない方法を動員して、この問題を乗り越えようとしたが、結果は思わしくなかった。2000年の第16代総選では、市民団体を外郭支援勢力に動員するポピュリスト的な戦術まで動員したが、「与小野大」を覆すことはできなかった。そしてその遺産はそっくりそのまま盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権に持ち越された。
◆盧政権は、国会を掌握するために第17代総選にすべてをかけて、過半数を少し上回る議席を確保することで結果的に成功した。これを政治史的な観点から見れば、初めて合法的かつ正当な方法で「与小野大」を「与大野小」に覆した例に当たる。盧政権が初めて、合法的かつ正当な方法で「与小野大」の分占政府(divided government)を「与大野小」の単占政府(unified government)にすることに成功したのだ。少なくても「手続き」の面で、第17代総選は韓国の政治発展に少なからず寄与したと考えられる。
金イルヨン客員論説委員・成均館(ソングュングァン)大学教授lykim@skku.edu






