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殺気とコメディーが同じ刃の上に…映画「座頭市」

殺気とコメディーが同じ刃の上に…映画「座頭市」

Posted January. 27, 2004 00:47,   

武は座頭市が盲目の居合い抜きであり、賭博とアンマの天才という設定のみを残したまま、既存のストリーをすべて弄って、解体し、ふざけて嘲った。彼は、血まみれの殺気と左右八方やたらに突き当たるコメディーがひとつの刃の上で、絶妙に踊る映画を作りあげており、この映画で、昨年ベネチア映画祭で監督賞を受賞した。

この映画を見ると、2つが気になる。その回答の中に、北野武の映画文法が秘められている。

○なぜ、座頭市は金髪なのか。

「座頭市」を貫く武の映画的態度は、一言でこのようものだ。「どうでもいいだろう。格好さえよければ」

テレビシリーズの中の座頭市は、黒い髪の毛に月並みの伝統衣装、茶色の仕込み杖を手にしている。しかし、武の座頭市は髪を黄色く染めて、杖は血色の朱塗り、着物は青い色だ。さらに、瞳まで青色だ。彼の前作「ドールズ」で見られるように、赤、青、黄色い強烈な色彩美学を表現している。

この映画の見どころはスタイルだ。彼は、柄を逆に握る背剣技法で敵を一発で斬る。剣を2度振った場合は、敵の体に不等号(∠)に似た変わった文様を残すだけだ。これは、怪傑ゾロの斬り跡(「Z」字)のように、座頭市が残す「楽しい署名」と同じだ。

座頭市の剣に斬られた悪党たちからほとばしる血潮は、コンピューターグラフィックとスローモーションを活用して、まるで華やかな花のように「咲き乱れる」。血がおぞましいものなのか、それとも美しいものなのか紛らわしい。

○なぜ、タップダンスを踊るのか。

最後のシーンで、出演陣は一通りタップダンス祭典を行う。武は時代劇に盛り込んだタップダンスを通じ、自分の映画がパフォーマンスとハプニングで満ちた「コミカルなゲームだ」と主張する。

彼は、残酷なアクションにスラプスティックコメディーを入り混ぜて、ユニークな映画的なリズムとスピードを作り上げる。めった斬りは、新体操のようにも見えるし、農夫たちが鋤と槌を使う様子は、観客を興奮させる乱打(ナンタ・打楽器パフォーマンス)公演を連想させる。

映画的な緊張と血まみれの流血シーンがピークに達しているところへ、「転んだり前のめりになる」コメディーがそれとなく頭をもたげる。座頭市は向かい立っている浪人剣客・佐藤允がお決まりの手順に従って、自分が座頭市を攻撃する楽しい想像を頭に描く場面は、固唾を呑んで緊張している観客の不意を撃つと言わんばかりに、次のような声をかけてくるようだ。「何緊張してるの。これは、単なる映画に過ぎない。娯楽として楽しめばいい」。剣を抜きかける勢いで、隣の同僚の腕を斬ってしまい、天井に刺されていた剣が落ちて、悪党の背中に刺される場面を見て、観客はむごたらしさとコメディの違いがぼやけてしまう。

武にとって、映画の中のキャラクターはたった2つに分類されるだけだ。「おもしろくて善良な人」と「おもしろい悪党。」

30日公開。15歳以上観覧可。



李承宰 sjda@donga.com