昔のギリシア神話にプロクルステスの話がある。彼はアッチカという村の外郭、旅人が良く訪れる町角に住んでいた。見知らぬ行人が通り過ぎれば、喜んで家の中へ迎え入れて、ご馳走を食べさせては寝台に寝かせるのだった。ところでその寝台がユニークだった。サイズが誰にもぴったり合う寝台だったのである。今の話にすると、「one—size—fits—all」の寝台だったわけだ。どうしてそんなことができたのだろうか。その手法は簡単だった。人を鉄製の寝台に寝かせて、寝台より大きい人は足を切り落とし、短い人は引っ張った。彼の名前が「引っ張る人」という意味だ。こうやっては荷物を奪い取ったのである。彼は残酷な強盗だった。
◆ある面でいうとプロクルステスは平準主義者だった。それぞれ背丈が違う非平準化世界を平準化するという夢をもった者だった。そうした彼も人の心まではどうすることもできなかったはずだ。平準化、それは結局達成不可能な夢であり、その実現のためには惨い対価を支払わなければならない。
◆フランス革命(1789)のモットーは自由、平等、博愛だった。それから、米独立宣言書(1776)にも「人間は平等に生まれた」という命題がある。これは事実的な命題なのか、目標志向的な当為命題なのか。言うまでもなく前者ではなく後者、つまり我々の夢に過ぎない。すなわち、「人間は平等だ」と言っているのではなく、「平等になるように努力しなければならない」という意味である。地球上の豊かな国々は民主主義と市場経済を目指す。こうした理念を実現するためには、人々を皆似たもの同士のどんぐりの背比べにしてはいけない。世の中にはすぐれた人、劣った人もいれば、身体や精神的にも大きな人、小さな人がいるものだとという事実を認めて、彼らが調和を成しながら競争し合えるように規律と秩序の枠組みを整えなければならない。
◆教育平準化以後、ソウルに現われたプロクルステスの亡霊が徐々に姿を現している。民主化以後、彼の威勢はますます強まっている。そもそも隣人の良き事をねたみがちな我が民族であるため、亡霊に従って一緒に踊る。経済、政治、社会、文化などすべての面で実力のすぐれた者は引っ張り出される。その一方で怪異な話し方で目立つ人々は崇められる。浅薄な世の中だ。世間を改めるためにはヘラクレスの従弟のテセウスがソウルに登場しなければならない。彼はプロクルステスを自分の寝台に縛って同じ手法で報復した英雄だったからだ。テセウスよ、早くいらっしゃい。国際競争時代であるほど国内の強盗を一気に退治する英雄の面目を見せなさい。
金秉柱(キム・ビョンジュ)客員論説委員(西江大学教授)pjkim@ccs.sogang.ac.kr






