
○「私のようなもんが名前残してどうするっていうんのよ。なんとかさん、って覚えておいてよ」
映画のせりふからでもわかるように、「なんとかさん」は百済の名もない一兵士で、最後の希望だ。見た目がなんとか見れるほどの程度だからだろうか。「なんとかさん」の役もそうだが、今まで私がやってきた役は三流人生が多かった。一所懸命生きるが、そううまく人生が運ばない人、それでも人にお笑いをプレゼントするキャラクター。映画「間諜リ・チョルジン」で初めて実のあるせりふをやったが、同時封切された「マトリックス」に押されて、映画はそれほど客の出入りがよくなかった。少し休んで再びオーディションめぐりをした。「達磨さん、遊ぼう(Let’s Play、Dharma)」で好評を得てから、配役の心配はしなくてもいいほど出演依頼が続いた。
主役をやりたいとは思わないか。よくわからない。主演、助演の区別にそれほど意味を置いていない。生涯演技を続けていれば、いつか一度は主演もできるんじゃないかな。
善玉か悪玉かは重要ではない。どうせ全ての役柄は俳優の演技次第だというのが彼の考えだ。それでも今後は悪役を演技してみたいという。悪役だが憎めない、そんな役を。
○年俸200万ウォンから「スター級の助演クラス」に
これまで生きてきた人生が穏やかでなかったためか、他の人なら経験もしないことを多く体験した。それが俳優として演技するのにプラスになったようだ。
芝居をする時は1年の収入が約200万ウォン。狭い一間で極貧者の暮らしをした。初めて映画の撮影をした時も泣かされた。トイレに行って、「待ってないで、どこぶらついていたんだ」と年下のスタッフに怒鳴られたこともあった。今はインターネットにファン・クラブもできて、正直言って収入や待遇の面でもずいぶんよくなった。何よりも撮影した後、モニターを通じて自分の演技を確認することができていい。
貧しい宗家の11代目の跡継ぎである彼は、「タレントになれる科」だと聞いて、漢陽(ハンヤン)大学演劇映画科に入学した。卒業後、放送局のタレント試験を受けたが全部落ちた。チャ・インピョと一緒に試験を受けて、3次までいったのが最高記録だ。
○耳に聞こえがよい唄も一、二度・・・助演ファミリーの悩み
実は助演として限られた役だけ繰り返したらどうしよう、という悩みがある。だから、「オー、ブラザーズ」で悪辣な警察の役をやりたかった。監督は半信半疑だったが、後で満足したと話してくれた。妻もよく言う。あんたがスターだって思ってるの。ただの俳優じゃない。そこそこの役しかできないようなら、休めばって。
セーターにジーンズの素朴な装いで現れた彼は、映画で見せたイメージとはまったく違う様子だった。とても誠実で、インタビューの間ジョーク一つ飛ばさなかった。本当の自分にはない別人をああも実感あふれる演技で見せてくれるとは。彼は本当に生まれながらの俳優だった。
コ・ミソク記者 mskoh119@donga.com






