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[書評]高麗時代の李斉賢を偲ぶ中国旅行 『西征録を捜して』

[書評]高麗時代の李斉賢を偲ぶ中国旅行 『西征録を捜して』

Posted July. 18, 2003 22:27,   

『西征録を捜して』

池榮在(チ・ヨンジェ)著/656ページ、2万5000ウォン/プルン歴史

名勝は私心を忘れさせる。作詩が難しければ昔の人の詩を思い浮かべることも良いだろう。中国を旅行しながら、我が先祖がそこに来て作った詩を思い浮かぶことができたら、どんなに嬉しいだろうか?

「西征録(ソ・ジョンロク)」は高麗(コリョ)時代末の学者であり、政治家だった益斎李斉賢(イクジェ・イ・ジェヒョン、1288〜1367)が、中国を旅しながら作った紀行詩集だ。今はなくなったこの本を、著者は緻密な考証を通じて修復した。それで本の題目が『西征録を捜して』となった。

李斉賢の文集である『益斎集』には、270首の詩と54首の長短句が盛り込まれた。この作品が書かれた順に従って『益斎集』に載せたという事実を明らかにしたのは、この本の一番重要な貢献だ。このために作品に登場する各地名と日付を知らせてくれる言葉を分析し、また現在の交通路と比べながら、当時の旅程を明らかにするのに傾けた努力は驚嘆に値する。そのおかげで、私たちは『益斎集』の詩がいくつのシリーズで構成されていたことが分かるようになった。さらに『益斎集』の詩は、その創作時期が明らかになることで、歴史的に生命を得ることになった。

李斉賢とはだれか? 李斉賢は高麗時代の忠烈(チュンリョル)王から恭愍(コンミン)王まで、7人の王に仕えた政治家であり、元の国の干渉期(1259〜1356)の大部分を生きた時代の証人だった。性理学の受け入れに先駆けた大学者だったし、数多くの歴史書を書いた歴史家でもあった。それに、この本によって、当代の旅行歌謡詩人という呼称が加わることになった。李斉賢は27歳のときに初めて元の国の大都(現在の北京)を訪れたのを皮切りに、29歳のときには四川省成都下の峨眉山、32歳のときには浙江省杭州近くの普陀山、36歳のときには甘肅蘭州の向こうにある朶思痲まで足を伸ばした。著者の計算によれば、4万kmを超える距離だから、まさに旅行家と言わざるをえない。また、行く所ごとに詩を作ったから、詩を作るために旅行をしたという著者の言葉が誇張だけではなさそうだ。

しかし、この本の真の美徳は約700年前の李斉賢の旅程を直接踏査したということにある。これを通じて、詩の現場を確認しただけなく、読者たちに鮮やかな臨場感を感じさせるような気配りをした。例えば、元の国の代表的な性理学者の許衡の墓は、河南省焦作市にあるが、「今は広い畑の真ん中に小さな墓があって… その横には羊が遊んだり、人が昼寝をしたりする」というふうだ。

踏査というのは、もとより時間と空間を編むのだ。ある空間に時間という生命を入れて、時間の流れの中に空間のボリュームを加えることで、空間を移動する単純旅行とは違う。著者はただ「詩として旅行を証言」すると言ったが、事実は李斉賢と著者の踏査が時間軸を形成することで、時間と空間のフレームの中で李斉賢の詩を鑑賞するように案内する。

詩の1首1首に親切な解説がつけられている点も見逃すことができない。これがなければ、「万里の旅行、万巻の本」を、行って、見た後に李斉賢の詩をまともに理解することができないだろう。多くの板本と対照して、間違った字を修正したことまで考えると、この本は李斉賢の詩に対する立派な訳注本としての学問的な価値がある。漢詩の翻訳はもちろん充実していて、何よりも中国旅行中に列車の中で読めるぐらい易しい。ただ李斉賢と彼の時代に対する説明が不十分のようなので、高麗時代後期の歴史に対する理解を同時に深めることを勧める。