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[社説]「新政権に人事権で検察の統制図る意図あった」

[社説]「新政権に人事権で検察の統制図る意図あった」

Posted March. 10, 2003 22:41,   

8ヵ月、10ヵ月、4ヵ月。検察総長3人が相次いで短期間で辞任したここ2年間は、過去最悪の検察受難期として記録されるだろう。しかし、こうした短期間での辞任が必ずしも外部からの圧力のためだとは言えない。政界への進出を狙う一部の検事が政界の顔色をうかがったり、組織内の派閥主義や特権意識など内部要因が外圧を呼び込んだ面もある。

検察をこのままにしておいてはいけないということについては、すでに国民の間で共通認識が形成されている。検察改革が避けられない大勢となったため、新政権がその雰囲気を利用して本格的に検察にメスを入れようとしているわけだ。金ガギョン検察総長の辞任も改革の波にさらされた結果だ。

金総長については、就任当時から検察を正すことができる適任者かどうか議論が分かれていた。内外からの圧力も少なくなかった。にもかかわらず、金総長は法に定められた任期を理由に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の「善処」を期待し最後まであきらめなかった。金総長が傷を負わずに辞任する機会を何回も逃したのは残念だ。最後の機会は2週間前の盧大統領の就任だった。

金総長の適格性はさておき、盧大統領が公約した任期保証が結果的に虚言になってしまったのは、ほかの意味でも不幸なことだ。検察指導部に対する盧大統領の公開的な不信の表明が金総長辞任の直接的な契機になったという点でなおさらそうだ。

検事との討論会での盧大統領の発言は、事実上、金総長を念頭においてのことだった。金総長が辞任の意を表明すると同時に、大統領府が辞表を受理したのも、その延長線といえる。

したがって、金総長が「康錦実(カン・グムシル)法務部長官がうそをついている」と批判し、「人事権を用いて検察権を統制しようとする新政権の意図が確認された」と主張したのも、はけ口としか思えない。検察の自律と独立に向けた改革の手段が統制であるなら、それはもちろん問題だ。歴代政権を見ても、検察の統制が検察の掌握につながる可能性はいくらでもある。それが政権による検察統制もやはり統制を受けなければならない理由だ。