蔚山(ウルサン)の小中学校をトップで卒業した孫偉勇(ソン・ウィヨン、50)さんは、1969年、釜山(プサン)高校に入学した。母子家庭の厳しい経済状況のために、学校の近くに家を借りることができず、朝4時50分に蔚山を出発する列車で通学しなければならなかった。往復5時間以上もかかった。それでも、孫さんは一度も欠席したことがなく、成績もトップクラスを維持した。
青雲の志を抱いていた孫さんに不幸が訪れたのは、高校2年の1970年7月。通常ならば7時15分に釜山駅に着くはずの列車が、大雨のために、東莱(トンネ)に止まった。9時半を過ぎたころ、孫さんは、学校に行くのをあきらめ、蔚山に戻る列車に乗り換えることにした。しかし、ちょうどその時、自分が乗ってきた釜山駅行きの列車が動き出すのを見て、急いで列車に駆け込んだ。が、手すりが雨で滑りやすくなっていたせいで、彼の人生は大きく変わってしまった。列車から転げ落ちて、足をひかれ、両足を失ってしまったのだ。
1年間休学したが、結局、学校に退学願いを出した孫さんは、その年、高校卒業検定試験に合格した。しかし、仕事がなかった。生計のために、近所の子どもたちの家庭教師を始めた。家庭教師で生活も落ち着き、75年に結婚した。小学生から高校生まで、一生懸命に教えたため、一時は、生徒が100人を超える「有名な先生」になった。
しかし、孫さんを待っていたのは、相変わらず「不運」ばかりだった。毎日、朝6時から夜11時まで、休む暇もなく無理をしたせいで、1980年に、過労で倒れてしまった。52kgだった体重は、30kgにまで減り、4年間も、辛くて苛酷な闘病生活をしなければならなかった。
なんとか健康を取り戻し、86年には、姉が工面してくれたお金で、時計・宝石店を始めたが、96年、保証人になってあげた友人の代わりに、2億ウォンの借金を抱え込むことになってしまった。住んでいた家も競売にかけられた。末の娘が、97年、大邱(テグ)にある大学の薬学部に合格したが、入学金を用意することができず、入学をあきらめるしかなかった。
周りの人のおかげで、なんとか生活していた孫さんは、「このままあきらめるわけにはいかない」と思い、もう一度、家庭教師の仕事を始めた。そして、3人の娘を全員大学に行かせた。
大人になった3人の娘は、父親の願いを叶えてあげたかった。「これ以上、遅れないうちに、大学に行ったら」と、大学進学を勧めた。孫さんは、30年前の夢を叶えるため、01年から、家庭教師の合間を縫って、大学受験の準備をした。結局、大学修学能力試験(日本のセンター試験に当たる)で、331点を取り、障害者特別選考で、憧れのソウル大学法学部に合格した。
孫さんは、「25年も使い、古くなった義足を、最近、新しいのに変えた」という。ソウル大学の階段を、もっと早く上り下りするためだそうだ。孫さんは、「障害は、人生で経験する数多くの不幸の一つにすぎない。夢と勇気を持って挑戦すれば、不可能なことなどない」と語った。
そして、「これまで、どうして勉強をもっと早く始めなかったのかと、後悔したことはあっても、体の障害が勉強の邪魔になると考えたことは一度もなかった。多くの人々の助けに支えられて、ここまでやってこられたのだから、これからは、他の人を助けることに、自分の人生を捧げたい」と話した。孫さんは、記事の写真を撮る時も、義足が見えるのを、まったく恥ずかしがらなかった。
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