「長生きすると、こうして会える日がくる。生きていてくれてありがとう…」
南側の金へヨン(93)氏は16日、金剛山(クムガンサン)旅館(ホテル)で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の同い年の妻、朴ジョンジョンさん、息子のインシクさん(66)、ヨンシクさん(63)、娘のヒョンシクさん(60)に再会して感激の涙を流した。
ともに90歳を超えた白髪の老夫婦は、荒れた手で互いの顔をさすった。しばらくの間、言葉を失ったまま互いをみつめ合う2人は、何とか52年間の時の名残りを探そうと必死になっている様子だった。
金氏は、子どもたちが健康を気遣うと「90歳を過ぎてから得た心筋梗塞で2、3度倒れたこともある。それでも北朝鮮に妻子が生きているという知らせを聞いてから、君たちに会う一念でこらえてきた」と語った。
平安南道(ピョンアンナムド)で牧場を経営している時にぼっ発した戦争で避難を余儀なくされた金へヨンさんは、近所の妹の家で家族と会う約束をしていたが、妹の家はすでに人民軍(北朝鮮軍)によって占領された状態。あいにく、後からついてくるはずだった妻と幼い子どもたちは翌日になるまで音沙汰がなかった。その足で一人南に渡った金氏は、釜山(ブサン)に10年間滞在。決して若くない歳で新しい家庭を設け、2男1女を授かったものの、その南側の妻は88年に亡くなった。
一方、南側の林(イム)ファンウォル(69)さんは、母のチョ・サム(90)さんの胸に抱かれて、半世紀前のぬくもりを感じた。頭をなでる母を抱きかかえた林さんは、妹たちの前であるということも忘れ、とめどなく涙を流した。
林さんが家族と離れ離れになったのは51年7月。4人兄弟の長女で、黄海道(ファンへド)ヨンベクに住んでいた林さんは当時、人民軍が若い男女を強引に軍隊に借り出しているという噂を聞いた両親にせきたてられ、一人避難することになる。
近くのヨンメ島に逃れていった彼女は、10日もすれば家族に会えるものと考えていたが、戦争の砲火は治まらなかった。彼女は食べ物を探し、ヨンピョン島を経て麗水(ヨス)まで渡ることになり、それは家族との長い別れになった。
この日、金剛山を訪れた南側の家族99人は、北側の家族と親戚253人に再会し、団体面会と共同晩さんの後、宿所の海金剛(へグムガン)ホテルで再会の初日を過ごした。双方の離散家族は、2日目の17日午前中は金剛山旅館で個別面会をした後、午後は三日浦(サムイルポ)見物に出かける。
金影植 spear@donga.com






