李滄東(イ・チャンドン)監督は変わった監督だ。「オアシス」でベネチア映画祭で監督賞を受賞した後、帰国し「不自由な内容を不自由なやり方で伝える映画であるにもかかわらず、よく理解してくれた観客に感謝する」と話している。
あえて観客が心地悪く思うような映画を作ったという話だ。みすぼらしし現実も絵のように幻想的に表現し、主人公もかっこよい俳優を登場させ、より美しく見せかけるのが一般的なメロドラマだが、彼はこのような慣習を思い切り破った。
◆「オアシス」が不自由な映画だと思われるのは、前科者と障害人という、監督の話によると「美しくない」キャラクターを映画的なろ過装置なしに、あまりにもリアルに表現したためではない。体をひねりながらようやく口をきく女主人公の姿の中から、私さえそっぽを向きたくなる私の実態を見るような気がしたからだ。30歳になるまでぶらぶら生きてきた義理の弟に義理の姉が「あなたがいなかったときがよかった」と露骨に言う場面では、あまりにも利己的な自分の本音がばれたような感じだった。映画が映画のようではなく、現実よりももっと現実的だ。本当に向かい合いたくない暮らしの真実をいちいち裏返し、目の前に突きつけるから受け入れがたいのだ。
◆真実はそれほど不便なものだ。自分と関連した真実はとくにそうなのだ。それが知らぬが仏だという言葉が出たゆえんだろう。どの組織であれ、歯に絹を着せないで言う人は、評判が悪いものだ。そのため、ある程度の外交的な修辞は必要なのだ。アメリカのテレビ「オプラショー」に出演して有名になった心理学者フィル博士は、相談を求める来談者に「あなたはこういう人だからああいうふうに直さなければならない」とアドバイスしたら嫌がったという。問題が起きたから忠告をしてほしいという人も、自分は正しく、人はいけないという言葉だけを繰り返し、それを確認してもらいたがるばかりで、真実には耳を傾けようとしない。
◆そのため、現在アメリカで成長しているのが「関心産業」だと、アメリカの政治学者ロバートライシは指摘している。顧客が聞きたがる特別な「真実」ばかりをオーダーメードしてサービスする業種だ。心理治療士、高級なフィットネスクラブのインストラクターなどは、お客さんがお金を多く支払うほどもっとも親しい友人の姿勢で彼らの話を聞き、お客さんがもっとも気持ちよく聞きたがる言葉を話してあげる。ことここまで来る前に、せめて本当のことを言ってくれる人がいるというのを幸いだと思わなければならないのではないだろうか。李監督は「オアシス」のように受け入れがたい状況を受け入れることができれば、これよりもひどい状況も受け入れられるだろうと話したことがある。真実の不自由な姿を私たちに見せてくれた 李監督の存在はそのため大変うれしい。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com






