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[オピニオン]義人に対する道理

Posted August. 29, 2002 22:43,   

ちょうど30年前に光州(クァンジュ)で起きた出来事だった。ある50代の男が鉄路に飛び込んだ。列車が来るのに気がつかずに遊んでいた子ども2人を発見したからだった。彼は、子どもたちを鉄路の外に押し出したが、自分は列車を避けられず死んだ。それから29年が過ぎた昨年、遺家族の陳情を耳にした公務員たちが腕を捲って出た。捜しまわって挙句、当時の目撃者と事故を起こした機関師を捜し出した。ともすれば、そのまま葬られるところだった義人の死が日の目を見たのだ。少ない額だったが、補償金を受け取った遺家族は、こう語ったという。「お金の問題ではなく、名誉を取り戻してくれたことに感謝する」

◆義人の死は、いつもわれわれを粛然とさせる。3年前、シーランドの火事事故のとき、火の中に飛び込み幼児の教えっ子たちを救い出して死んだ金ヨンジェさん。昨年、東京の地下鉄駅で線路に落ちた日本人を救って死亡した李秀賢(イ・スヒョン)さん…。スリに会う現場を目撃しても見ぬふりを通り過ぎるほど世間がらい世の中ではないか。人のために命を投げ捨てるのは人間にできるもっとも高貴な犠牲だ。そういう義人の死が尊敬され、応分の礼遇を受ける社会は健康であり正義が息をする。昨年、国会議事堂での銃器乱射事件で亡くなった二人の警護員を、国が全面に出て補償し、議事堂の墓地に埋葬した米国の例から見るように、先進国は共同体のために犠牲になった人々を徹底的に礼遇する。

◆保険会社が、スリの犯人を捕まえようとして車にひかれて死んだ高麗(コリョ)大学生のチャン・セファンさんの補償金を値切ったという話は、われわれを恥ずかしくした。表面的な理由は、道路を無断で渡ったためだというから、一層のことそうだ。通常の行為ならともかくだ。犯人を追いかける緊急な状況で、交通信号を確認して横断歩道を探して渡れというのは、犯人を手放せという話と何が違うのだろう。社会がこれだけ冷酷なのだから「下手に義侠心を発揮したって自分が損するだけ」だと、誰も彼も逃げ腰にならざるを得ない。いくら考え直しえも世間辛い計算式だ。

◆どんな規定であろうと、その根幹をなすのは健全な常識だ。正義のために命まで投げたのに、交通規則違反云々して責任を転嫁するのでは後ろ指を差されて当然だ。突然息子を失った親の気持ちを一度でも考えてみたなら、そんなことは言えないはずだ。中国料理店の配達員の交通事故を常識以下の額で片付けようとしたところ、その配達員が「弁護士なしの訴訟」を起こして勝ったため、保険会社が恥をかいたのがつい数日前のことだ。すべては金がものを語る言われる保険会社とは言え、義人に対する最小限の道理は守ってほしい。

崔和敬(チェ・ファギョン)論説委員 bbchio@donga.com