私達は今伝説を作る。そして、それはすでに始まっている。
数週間前、サッカー・ワールドカップ(W杯)の前夜祭と開会式の練習のため、早退しなければならない生徒たちが「先生、何列目かにいますから、必ず見てください」という言葉を残して練習場に向かった。このようにして「歴史的な結実」を築いていくのかと思った。
そして、先週のフランスとの親善試合が開かれた日曜日、水原(スウォン)での試合を見てソウルに戻り、私は何とも言えない「恐怖」を感じた。あふれんばかりの喜びが与えた「恐怖」だった。前半戦が終って、荒々しい波のような応援合戦がしばらく息を休めていた時、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング1位のチームを2:1でリードする夢のような現実を実感している観衆の笑みに満ちた表情に、浮かんでいたものは一体何か。
それは一言で言って、やればできるという自信の回復だった。単純な自信ではなく、その自信の「回復」であった。
これまで、何々ゲートにさいなまれ、国民は疲れきっていた。それは「ブルータス、お前もか」という絶望にも似た日々であった。改革という名で吹き荒れた教育、医療、財閥、マスコミ・・・そして南北関係に至るまで、実に国民は疲れきっていた。
高校1年の頃、学校の前の道路を戦車が群れをなして走るのを眺めて、5・16を経験して以来、私は、現在のように政府と国民の心が遊離していた記憶がない。くたびれた状態から一瞬にして抜け出すような歓喜が、後半戦を待つ間、競技場内に満ちていた。
赤い応援Tシャツを長袖のワイシャツの上に重ね着して、まるで野球選手のような姿で誰彼にとなく「本当に韓国チームなの」と声をかけていた白髪の50代のファンのその余裕のある顔を見て、久しくこのような表情を目にしていないなと、しみじみ思った。
アメリカの小説家アーネスト・ヘミングウェイが、不朽の名作「老人と海」を構想したと言われるキューバのコヒマル湾の海辺。ここにラ・テラジャラというレストランがある。ヘミングウェイがよく訪れたというこのレストランの入口には、こんな言葉が書かれてある。「日常が伝説になった(Ordinary thing became a legend)」
もうすぐW杯が開かれる。私たちが今伝説を作っているという耐えがたい喜びがここにある。
そしてこの喜びは、W杯が単純なサッカーの祭りで終らないという信念ゆえになおさらだ。
韓国は、これまで韓国の悠久の固有文化を世界に知らしめる文化ワールドカップや、自然と調和した生活を夢見る環境ワールドカップ、そして先進情報技術による情報ワールドカップを準備してきた
その経済的效果をカネに計算することは、重要なことではない。競技場を建てるばく大なカネで図書館を建てればどうか、他の文化施設を増やして福祉政策に投入すればどうか、いろいろな考えを誰もが持ったことだろう。可視的なことにあまりに多くの力と財源を注ぐのではないか、という自省がなかったわけでもない。
ここで国民は、祭り前夜の静けさの中で、しばらく考えるべきである。私たちは何を得るのか。最近の代表チームの親善試合で、国民の顔が笑みを取り戻したようだ。何よりも、国民にはプライドとして残るだろう。しかし、誰かさんのように、W杯さえうまくいけば「他のことはどうなってもいい」という考えは禁物だ。そして、成熟した国民がこのようなことを許しはしない。
ひとつのスポーツイベントを巨大な人類の文化祭りに築き上げることを、私たちは成し遂げた。そして、これが国民の心に与える效果と影響を思うと、胸が喜びでいっぱいなる。まさにこの大切な意味を無駄にしてはいけない。未来完了ではなく現在進行で。
私たちが成し遂げれば、それが人類の基準になるという自負心、まさにW杯の開催を通じてそれを実感しているのだ。そして、何よりも私たちは、これを達成させたことで、世界の中で変化した韓国の姿を目にすることだろう。
私たちが進むところに道が開ける。そうして日常が、ある日突然伝説になるのだ。世界の人類が驚いている。韓国人よ、私たちがしたことが、人類の基準になる。伝説になるのだ。
韓水山(ハン・スサン)世宗大学教授(小説家)






